2012年9月2日日曜日

[映画] 「図書館戦争 革命のつばさ」

9月1日、見てきました。原作は有川浩「図書館戦争」シリーズ本編四部作の最終巻「図書館革命」です。
「図書館戦争」シリーズは「図書館の自由に関する宣言」 (物語世界では法令化されている)を軸に「表現の自由」という問題を描くために、リアリティーラインが容認出来るぎりぎりのところを狙って描かれた作品です。それをどのように咀嚼して映像化したのか。
結論から言えばこの映画版を好きな人は以下読まない事を強く推奨せざるを得ない結果となりました。

以下、ネタバレがあります。



































ストーリーは冒頭敦賀原発に大型軍用ヘリコプターが衝突。そのヘリコプターを乗っ取っていたテロリストが原発占拠したところを自衛隊と警察が突入して制圧したというニュースから始まる。そしてその事件を奇貨としてテロリスト対処特別措置法だったと思いますが、対テロ法が改正され、原発危機を「予言」したエンターテイメント小説を書いた作家がメディア良化委員会から危険視され、執筆を禁じられようとする。対抗する為にメディア良化法が違憲故に無効とする訴訟を作家と出版社が提訴。作家の身柄を守るため、図書隊が作家の身柄を守るというもの。

作家の当麻蔵人氏は小説では日本での表現の自由に対して危機感を抱いている人物として描かれますが、本作ではプロの作家なら出版社を困らせないように描くべきだという問題意識のない人物に設定が変更されています。
この改変により、図書隊の関係者は作家に対して「これは奇貨だ」として図書隊側に立って戦うように求めるというシーンがいくつか入ります。
これは映画版の致命的な改変です。組織が自らの目的の為に、重要な鍵を握る個人に対して参画を求めるという図式は古今東西数多く行われてきました。そしてその個人が責任を取らされて時として命も失う。そのような事を防ぐ為に「思想・信条の自由」「表現の自由」という概念が産み出されたのではなかったのか。
このような発言を図書隊関係者がしたという風に描いた事で、映画世界での図書隊の正義は失われています。
このような致命的な改変を持ち込む映画版の監督、脚本家の考えのなさがあまりに痛過ぎます。

その他の問題点:

  • 二回ほど入った無意味な日本人形シーンが謎。
  • ある女性キャラが追加された訳ですが、もう一人の主人公といった風な設定なのにほぼ何も機能していない。メガネケースを渡すシーンが狙いだったのでしょうけど、まあ、それだけかなと。
  • 最後の作戦発起時に堂上教官が被弾する訳ですが、何故か連れて逃走。新宿の紀伊国屋書店まで連れて行く必要性はあったのかと。この世界ではメディア良化委員会と図書隊の抗争激化しているのは確かですが、負傷者が出れば救急車を呼んで対処してもらえる程度の状況にありますし、映画では教官に対して発砲した特務機関員を拘束するシーンがあったので、あの場では教官を置いて離脱する方が安全だったはず。すごく不自然な描写でした。
  • 原作は「大阪のおばちゃん」を見事に活かしていた訳ですが、映画版は決め手にならず。それ以前に隠密作戦中、主人公が図書隊制服なのにロクに発見出来ないメディア良化委員会特務機関というのは。。。
  • 大阪市内の精密な描写をしているのに、そのようなルートで逃走出来るのか謎。(中央通り高架下の繊維街→心斎橋筋を南下→中之島→御堂筋らしいのですが、どこかで何回かワープしている都市か思えなかった)
  • 要人保護でゴールが決まっているのにメディア良化委員会の特務機関が待ち受ける規制線に突撃して車両を銃撃される。そもそも突撃して突破出来る可能性はどうみても零だった訳で、何の為の突撃なのか理解不能。このシーン、イーストウッドの主演映画でバスが銃撃を受けながらも前進するという作品がありましたが、こちらのオマージュに見えるのですが、こちらは予め防弾について工夫していた訳で、何をしたかったのだろうと思う。
結論としては原作に対して映画版の製作陣の欲で追加されたストーリーが物語世界のリアリティーラインを割り込んでしまい破綻。表現者としての欲のコントロールに失敗しています。「表現の自由」という問題に向き合うにはあまりに映画版制作者陣の力量が不足していたと言わざるを得ない作品だと思います。