2013年5月18日土曜日

[映画] 探偵はBARにいる2

2013年5月18日(土)夕方の回を見ました。
ネタバレあり。倫理的に致命傷を抱えた映画。よく誰も止めないなと。


創作で現実に起きた事件を取り上げる時、実際に起きてもいない事を問題として取り上げる行為は倫理的に問題があります。

本作はマスクを着けたいろいろな仕事の服装をした人たちが集団で主人公たちを襲います。中にはバットを凶器として持って野球選手の名前をいいながら人を打つ。
その理由が彼らが支持する北海道の有力二世議員(このあたり鳩山一郎氏由来か)が反原発を推進していて、彼らが邪魔になるから怪我を負わせようとしたという事らしい。私には殺人にしか見えませんでしたが。
(バットで人の頭や胸、腹を打てば、当たりどころ悪いと充分死ぬと思うんですが。。。「ヒーローショー」でも感じたのですが、どうもバット=非殺傷武器という不可解な設定が映画業界で定着しているように見えますので私は殺人だと思いながら見ていた)
一般の市民が立ち上がったという事になっていますが、リーダー的な人物がいて自然発生したとの主張はありえるかと。どれだけ超常現象なのかというのは反原発運動に対する監督、脚本家の見方が強く影響しているように思えます。

エンターテイメント映画で現実の出来事を織り込む。その事自体は問題ありません。実際に起きた事に対してフィクションの中で取り上げて批評を行う事はよく行われている事です。このような場合、実際に起きた問題について取り上げている訳で、問題自体を創作してしまう事は行われません。それをやれば、創作されたありもしない問題によって一方的に叩く事が出来ます。これはいわゆる怪文書より質が悪い行為だと思います。
創作でこれをやれば一方的なレッテル貼りはいくらでもやれます。それは倫理的にやってはならない事でしょう。

映画監督と脚本家は反原発運動をされている方から「反原発、脱原発ですが映画見ました」と言われた際に「フィクションだし、面白かったでしょ」と言えるんですかね?
そんなに反原発運動が気持ち悪いものなんでしょうかね?
相手が怒らないものだと思っているんですよね?
相手が実際には暴力を振うような人たちじゃないと分かっているから、映画という形でいじめているんですよね?
それって、普通卑怯って言いませんか。

そもそもこの問題は「反原発運動」ではなく「国を変えようとしている改革派でもっとも首相に近い人でカリスマ」とすれば起きない話で(それでも超常現象はなんとかしないとダメか)、フィクションなら現実を下敷きに都合良くつまみ食いして、その中で実在する組織や人を謗って良い訳がないと思う。
フィクションが時として現実を批判する力がある事を忘れているとしか思えません。