2013年5月15日水曜日

[映画] L.A.ギャングストーリー("Gangster Squad")

「L.A.ギャングストーリー」5月3日に見ました。
ネタバレあります。


何故か「L.A.コンフィデンシャル」との比較して批判。一方で本作は「アンタッチャブル」の影響を受けた作品という指摘も多々。
かたやフィルムノワールの先端にある作品であり、かたは勧善懲悪の警察TVドラマ的な作品。これらの名前が何故出てくるのか。
……というと日本の配給会社のミスリードは大きく影響しているかなと。

それにしても著名な評論家が「『L.A.コンフィデンシャル』ではこのように描かれた人物なのに『L.A.ギャングストーリー』は無視している」というのは、『L.A.コンフィデンシャル』がフィクションだという事を忘れているのか、意図的な演出なのか。後者だとしたら見事な佳作ですね。

「L.A.ギャングストーリー」はノンフィクション原作に発想を得たフィクションとして構築されています。ノンフィクション原作に登場する実在の人物をモデルとしているのはオマラ巡査部長(ジョシュ・ブローリン)、ウーターズ巡査部長(ライアン・ゴスリング)とミッキー・コーエン(ショーン・ペン)のみ。
映画の構造は映画「アンタッチャブル」オマージュと思われる部分が多く(ホテル銃撃シーンのある舞台設定は分かりやす過ぎた)、その映画「アンタッチャブル」の源流となる黎明期のテレビドラマまで辿る事は出来そうな作り。
これは原作で話が紹介されていますが警察がイメージ向上の為に協力した警察活劇ドラマ「ドラグネット」のような世界がそのまま映画になったという印象はあります。
面白いのは原作に登場する実在の人物を演じた3人の役作り。原作末尾に原著者による映画撮影シーンの紹介がありますが、ここで見られるゴスリングの役作りはウーターズの家族にどのような仕草をしていたかといった事を聞いて取り入れて行ったとの事。なかなか興味深いものがあります。

勧善懲悪ものはそのような作品であるという分かりやすい記号が入っていれば許されるかなと。本作の場合、プロローグでオマラ巡査部長の猪突猛進ぶりを描写し、エピローグでは警察官を辞めるところであざといぐらいの定番演出が入っていてその点明快。

ミッキー・コーエンは警察に目を付けられていても実際にどのような「悪」をやっていたか分からない人だそうで、原作でも今ひとつ明確な「悪」は描かれていません。
この役、もともとオマラ巡査部長役のジョシュ・ブローリンにオファーされていたそうですが、ブローリンの提案でショーン・ペンになったとの事。(これはパンフレットに記載。このパンフも本作の成立過程について言及されていてお勧め)
コーエン像は元ボクサーという実際のキャリアを元に本作で膨らませた創作ですが、盗聴マイクに淡々と語るシーン等見所満載。最後のシーン以外、圧倒的な存在感で作品を動かしていた。

本作の弱点は勧善懲悪な作品でスタイリッシュさではなく奇妙なユーモア的演出が入ってしまったあたりかなと。オマラ巡査部長の妻コニーが参謀として夫に指示するという設定は大変面白いのですが、その妻の心配をよそにやっぱりオマラ巡査部長は暴走して笑いを引き出した後で実は死地だったという展開だと、オマラ巡査部長についていって大丈夫?と思ってしまう訳です。結果、ウーターズの視点に観客が引き寄せられると。(ゴスリングの役選び、相変わらず絶妙)
勧善懲悪もので試練を与えるのは敵であるべきだと思うのですが、本作ではもはやオマラの考えの浅はかさが最大の敵じゃないかと疑ってしまったのは確か。

本作はこのように確かに欠点はあります。ただ、フィルムノワール、「L.A.コンフィデンシャル」至上主義者が「コーエンはこうあるべきだ」といった批判はお門違いであり、テレビ黎明期の警察ドラマの末裔として勧善懲悪のシンプルな物語として楽しむのが吉だし、その観点ではなかなか優れた佳品だと思います。