2013年6月16日日曜日

[映画] プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命

6月7日に見ました。
何故ブラッドリー・クーパーがクレジットされているのかよく考えず、ゴスリング祭りのつもりでしたが良い意味で期待を裏切られました。
ネタバレあります。




あらすじ。
町を巡るサーカスのスタントバイクライダーのルークは一年ぶりに来た街で愛に気付く。その愛を取り戻そうと悪事に手を染め、仲間の善意による最後の引き止めを無視して自滅して警官に射殺される。

ルークを射殺した警官エイヴリー(ブラッドリー・クーパー)は警察改革を夢見るロースクール出身のパトロール警官という警察内部でも異物の存在。ルークとの運命の交差でイーローとなったものの足が不自由になったエイヴリーは正義心ゆえに警察官の不正に対決しようとして四面楚歌の状況に陥り、仲間を売って正義を成し遂げる事で死地を脱出する。その中で警察官としての改革という夢は潰え、地方検事補という彼自身が元々属していた側に戻る。

そして15年後。エイヴリーはニューヨーク州司法長官を目指し、息子AJは父親の庇護のもと薬と酒に溺れる高校生で久しぶりに父親の元で暮らす事に。学校でルークの息子ジェイソンと軌道がすれ違う時に何が起きるのか。
ルークからエイヴリー、そしてその二人の息子の因縁と解放の物語となって話は終える。




本作の構造は三部構成。第一部のルークとエイヴリーの運命の交差が第二部でのエイヴリーの転機、そして第三部でジェイソンとAJ、エイヴリーの因縁としかいいようがない運命の交錯が再び起きる。

第一部。冒頭のスタントバイクのシーンはどれも素晴らしい。見世物小屋で鉄の球体を三台のバイクで恐ろしいスピードで走る狂気としか思えないスタント。森林を強烈な速度で駆け巡るシーン。高速度撮影の撮影の多用はスピード感を出す事に成功。
些事な話ですが、何時の話かについては第一部ではテロップや説明はありません。ただPCのディスプレイが昔ながらのブラウン管というあたりで察せされる仕組み。

ライアン・ゴスリングの役選びは単純に名作、良作を選んでいる訳ではないという印象があります。その役をやる事で何か得られるかどうか。これは「L.A.ギャングストーリー」のような「アンタッチャブル」を大戦後のL.A.のギャングと警察抗争に置き換えた娯楽作品でのウーターズ役(モデルは実在の人物でその家族から仕草を教えてもらって役作りに活かしたとの事)を受けたあたりで強烈に感じさせられたところです。
本作の役「ルーク」は路線的には寡黙な主人公を見事に演じた「ドライヴ」の延長上にあると思ったのですが、冒頭は一切緩急がないテンポで一気に流離いのスタントバイクライダーが街に囚われて行く姿が描かれます。ルークという役は亡くなった後でも物語に存在感があり、それを支えている一端にゴスリングの演技があったのは間違いない所。

ルークの本質はその最後に到る道筋で彼の半身、家族であるバイクを仲間だったロビンに壊された事に対して命という対価を求めなかった事で分かる。実際あれだけ犯罪を行いながら誰かを殺すような事は一度もしなかった。本作で唯一甘いディティールなのかも知れない。でも私はこれでいいと思う。

第二部。設定としては貴族が労働者の中に入って行って改革を為そうとして弾き出されるという古典的な物語構造へ。
作中でエイヴリーの父親が(銃撃を受けた傷について)政治家になるにはプラスと言われて、まだ警察官としての夢を捨てていなかったエイヴリーを苛立たせるシーンがありますが、結局は悪魔に心を売り渡すかのようにも見える決断を下す。
父親は終始息子が警察官の社会から弾き出される事を予想していたし、彼が助けを求めて来た時にはその事を選び取らせる形になっている。

第三部はある事件を経て最後にジェイソンは一人流離い、バイクを得る事で父親とのつながりを見出すという答を掴む。ここだけ第二部からの時間経過がテロップで表示されます。これはエイヴリーの転進がどのような成果をもたらしたのか分かりやすくする為の観客への唯一の配慮かなと。
ルークを射殺した事がきっかけで人生が大きく変わったエイヴリーは息子にまつわるスキャンダルを乗り越えて州司法長官選を勝ち抜く。その側で父親を祝福するAJ。
この二人がどう変わったのかは明確には示されませんが、ジェイソンとの出会いで父親の事を知った事で何か変わったのだろうという予感と与えて終了。

ルークに端を発する物語がエイヴリー、そしてジェイソンとAJを結びつけ、離れて行く。そのような因果を親子二代に渡り描いてみせた作品だと言えます。
上流家庭出身で結局そちらに戻って行ったエイヴリーとバイクの才能で食って来たルークはその立場の違いにも関わらず、その両者が鏡の中の存在のように描かれるように見えました。



本作は、三部構成で全く異なる映画3本を一挙に見せられるという仕掛け。
第一部(と後で気付く訳ですが)は無駄なカットが一切ない。この部分の上映時間さほど長くないと思うのですが、これだけでも上手くまとまっていてあっという間に映画が終わるなと勘違いしたほど。
第二部、第三部は落ち着いたテンポで描かれていて第一部だけ別格の構造。本作の全ての起点故か。
トリッキーな物語構造。それを支える俳優陣。第一部と第二部、第三部で異なる撮影手法など大変野心的な試みが為され成功している作品。もっと上映スクリーン数は多くて良いと思うのですが、そうならないあたりが今の日本の洋画事情かなと。