それともライブ映画と呼ぶべきなのか?
※ネタバレあります。
本作を撮った松江監督の「ライブテープ」は噂には聞いていましたが見た事がなく、本作で初めて体験。
最初は2011年に撮影されたGOMA & The Jungle Rhythm Sectionの演奏シーンが流れるそのバックとしてディジュリデュ奏者GOMAさんの演奏者として、また一人の夫、父親としての半生が語られる
このシークエンスはある出来事で破られる。GOMAさんが遭遇した首都高での追突事故。この事故に起因する記憶障害により今を生きるしかなくなる。
本作は3D映画です。何故その事が高く評価されるのかは見るまで不思議でした。
見て分かったのはバンド演奏シーンを手前において背景に「記憶」を投影するという手法と今の3D技術の特徴である奥行き感に対してオーストラリアのアポリジニの楽器であるディジュリデュが大変マッチしていたということ。あまり3D映画を見ている方ではないのでこんな事を言えるだけの客観性があるか分かりませんが、私の中では本作こそ3D映画である必然性を示し得た映画だと思った。確かにこれは評判になるのも当然か。
あとGOMAさんの事故前までの奏者として、人としての物語が事故の時点から一気に風景が変わって見えるように構成されている事も大きい。
物語はここからGOMAさんと妻の日記を代わる代わる映し出しながら進む。
記憶が消えてくこと。
今、起きた事が将来思い出せないということ。
今を生きるしかないこと。
今を力強く生きるしかないこと。
そして映画スクリーン内で、過去を振り返る背後の映像の前で演奏するGOMAさんはもうこの日の撮影の事を覚えていないという事を公式サイトでの松江監督のコメントで知った。素晴らしいパフォーマンスだったのに観客の記憶には残るが中心にいた奏者の記憶にはもうない。
このような映画があるとは。気になっていて最後まで逡巡して飛び込んだ映画でしたが、飛び込んで良かった。見に行って良かった。