2014年8月21日木曜日

[映画] 思い出のマーニー

やっと踏ん切りがついて見てきました。もっと早く見るべきだったと反省。
気になった所があったのでもう1度見てしまった。。。
ネタバレ、避けてはいますが含有していますのでご注意を。










TBSラジオ「ライムスター字多丸のウィークエンドシャッフル」のムービーウォッチメンを聞き、Twitterのタイムラインで結構評価が高い方がいたので見る気に。

オープニングの表現力
映画冒頭の公園の写生のシーンの絶妙さについては前述のムービーウォッチメンでの字多丸さんの指摘通り。台詞で説明的だという声もみかけるんですが、必然性あるところだけで、登場人物の表情や描き込みで成り立っている作品だと思いますが。。。
近年まれにみるディティールが豊かな邦画だと思う。

祭でのいざこざ
近所の1歳上の女の子(地域の子供会リーダー?)については、アンナと同世代に見えない問題については、大岩の伯母さんに似せたのは意図的かなと。世話焼き好きな所は共通ですし。ただ、そうするのであれば祭りの後で母親が怒鳴り込んで来た所でカッターナイフ云々はよけいだとは思いますが。

マーニーの実在感について
マーニーが実は過去の人だというのは、少なくとも観客には分かるシーンはあります。
パーティーの花売り娘のシーン。40代以上じゃないと分からないと思いますが、一応描き込まれていて、まずここで現代ではない事が分かる。

更に「空想だ」という見方が出来るかというと、アンナに過去何が起きていたかを全て知る立場にはないのは作中の物語展開で分かる。
物語が展開される中でサヤカが湿っ地屋敷(台詞だと「シメッチ屋敷」に聞こえていたので人の名前かと思っていた)に越して来てマーニーの日記を見つけ、その中でアンナが見てきた事が書かれている事で、現実でも空想でもない事が明らかにされる。
(ちなみに空想だと主張しているのは作中だとアンナだけですし、物語としてそれを追認するような描写はありません。むしろ否定している)

「あんな白人の少女で日本語ペラペラがノイズ」という指摘については、祭りのシーンでは近所の子がアンナの目の色が少し違っていると言った事(青色がかっている)、マーニーがアンナを幼なじみで将来結婚する夫と間違う所が入る事である関係性を予感させる展開になっている。
幼いアンナが抱きしめていた人形、意図的なのか謎ですがこれも暗示とも取れる。
これらを考えると決して映画が後出しじゃんけんしている訳ではない。きちんと一定のルールで材料を指し示しているといって良いのではないか。

アンナについて
オープニングから湿原近くの大岩家に行ってしばらくの様子を見ていて「めんどくさい子だよね、でも苦しさも分かる」というもの。多分、本作にすんなり入れるかどうかは最初のアンナの痛みについてどう受け止めるかに鍵があると思う。
マーニーとの出会いからの物語をアンナの「空想」としてしまうと、本作の最大の謎に対してアプローチ出来なくなる。十歩譲ってアンナの頭の中で起きていた事だとして、そこにマーニーの意思が働かない事になってしまう。本作においてマーニーは意思を持ってアンナに対して訴えてきて、そしてアンナはその訴えの元を知る事で許すという事を知るという成長を得る。ここが本作の面白みだと思う。

里親制度(補足訂正あり)
アンナは役所からの里親の里子養育手当の通知を見て、お金の為に自分を引き取ったのだと思い込んでいるシーンは、本作演出上重要な意味付けされていますが、里親制度、養子にしている場合は手当支給はありません。
養育里親の場合、養子関係はなく預かるという意味合いがあって手当の支給があります。札幌市で付加的な制度がないか確認しましたが、特になかったように見受けられます。
この点、あまり指摘される方もいらっしゃらないようですが、どういう理屈付けすればいいのか謎。ちなみに養育里親だと里子が養子で入る訳ではないので姓が一緒になったりもしません。(頼子とアンナは佐々木姓を名乗っている。また映画最後にアンナは頼子を「母」と紹介している)

この事でアンナが頼子を拒否し、許し得るというのは「金」が絡むだけにそこまで入れる必要があったのかと思う所なので、私はこの点が本作最大の傷だと思う。ちょっと残念。


(補足訂正) この部分、気になって日本の養育里親制度について調べてみた所、子供の姓は大事である事、その上で本人の同意があれば学校など日常では通称として里親の姓を使う事はあるという事が厚生労働省の里親向けの資料に記載されてました。養育里親を父、母と呼んでいたという里子だった方の手記もあるので、本作での頼子とアンナの関係はあり得るという結論に。但し養育里親の件

(追記)アンナが見てしまった通知書は「養育里親」宛が明記されたものでした。書類がきちんと書かれていてこのあたりもきちんと描き込んでいるのは本作の良い所だと思います。

この他で気になった点は1つだけ。屋敷に引っ越してきたサヤカがアンナに対して「マーニーでしょ!」と叫ぶシーンは唐突。サヤカには証拠があるという訳ですが、あれでアンナ=マーニーは論理飛躍ではないかと思った、ぐらいですね。マーニーの絵があるとかもう少し論理性が欲しかった。

最後に
映画らしい映画演出、そして現実とどこかで起きていた出来事の描写の境界を曖昧にして、そこに迷うアンナを描くという観点においてアニメである必然性も持っていると思う。
アンナが謎を解き明かして、マーニーを許してアンナの世界が開けるという物語はアンナ自身が内に持っていたものを理解するという物語でもあり、その構図が理解出来た時に不覚にも感動してしまった。物語の巧みさ、演出の丁寧さなど映画としてきちんとみられる優れた作品だと思う。

(追記)プリシラ・アーンさんが歌う主題歌「Fine On The Outside」、彼女の持ち歌で歌詞の内容があまりにマッチしているという事で企画段階で候補に挙げて通ったとの事。信じられないぐらい合っていて驚きでした。