2014年7月28日月曜日

「野のなななのか」ロケ地から創り出された映画世界

「野のなななのか」は北海道芦別市を舞台とした作品です。
実際に芦別市を訪問してロケ地を探してみた所、映っているもの、いないもの、編集技術で作りだされたものがある事が見えてきます。
映画の世界は映画が目的としているものを表現する為に作り出されるフィクションですが、一方でその映画の世界における実在感を生み出さないと観客に信じてもらう事が出来ません。本作のロケ地と映画表現ではどのようになっているかという観点でのメモをまとめてみます。



1. 星降る文化堂
星降る文化堂の正面:カンナが話をしているシーンで星降る文化堂の反対側のシーンが映る所がありますが、炭坑の住宅街になっています。ロケ地の医院は町中にあるため、ここは全く違う背景を合成するか別途撮影して挿入されているものと推定。
2階からの風景:隣家の屋根の町並みと五芒星らしき意匠が目に入る印象的なシーンですが、こちらも全く別撮りしたものを編集で挿入、または合成されたものと推定。
光男の部屋:美しい山間部の風景が見えるテラスがありますが、町中なのでこちらも別の場所で撮られたか合成されたものと推定。
旧小野寺医院。「星降る文化堂」の意匠は撮影時のものが残されている。

2. 芦別総合病院 光男の病室
窓からは星の降る里大橋が常に映り込んでいます。芦別市街にいると目に入るのは観音像とこの星の降る里大橋であり現在の芦別市のシンボルと言える風景です。
パンフレットによると病室はほぼ作り込まれたものだと記載があるので、既存病院で撮られた訳ではないようですし、窓の映り方を見ていると合成だと思われます。
国道452号線 星の降る里大橋

3. カナディアンワールド公園と三井芦別鉄道隧道
ブライトリバーステーション側の周回道路から降りたあたりだと思いますが、これは現地撮影されてます。車が写っているシーンもあるので、周回道路からそんなに外れないと思うのですが。(周回道路沿いからは少し外れているはず)

ロケ地としては普通に撮られている訳ですが(カンナとかさねの二人が園内を歩き回るシーンもありますが、雪のシーンは合成だろうと思います)、カナディアンワールド公園自体の位置は実際と大きく異なる設定になっています。いや、カンナが散歩で来たり、かさねが自転車で姿を見せるにはあまりにも市街地からは遠いです。自動車でも20分ぐらいはかかりますし、芦別温泉(スターライトホテル)があるところからでも多分徒歩30分+園内横断でさらに20分ぐらいはかかるんじゃないでしょうか。
カナディアンワールド公園

カナディアンワールド公園を出て、カンナとかさねの二人が三井芦別鉄道(炭坑輸送の他に旅客輸送も行っていた)の旧隧道を通るシーンが出てきますが、こちらは芦別市街から国道38号線を富良野方面に進み、国道452号線を夕張方面へ南に進んだ所にあるもので、地理関係は映画世界内独自のものになっていると言えます。

4. 新城の丘
本作の掉尾を飾る黄色い花畑(人の手で植えられたものではないとの話はTBSラジオ「ライムスター字多丸のウィークエンドシャッフル」ムービーウォッチメンでの本作評論で言及があるので、畑と呼ぶのは不適当ですが)のシーンは、芦別市北部の新城の丘で撮影sれたものとの事。道の駅等で配布されているロケ地ガイドを見ると県道4号線を郵便局の交差点で左折して三本ナラの方に行くと近いらしいのですが、このシーン、周囲は畑はない所で撮られています。三本ナラ付近は開墾された畑が広がっていますので、多分もっと奥に入った所だろうなと想像してます。(という事で、この場所については映画世界でも現実と位置関係に変わりはない気がします)
新城の丘 三本ナラの近くで

このシーン、映画作中では想像のシーンじゃないかと言う指摘を聞くのですが、英子とカンナ、かさねがカナディアンワールド公園に集まるシーンで明日のなななのかの弁当の材料を買いに行こうという話をしており、お墓からの車の移動シーンもあるのでまずそれはないかなと。。。

5. 映画世界と現実のロケ地訪問の楽しみ
ロケ地訪問の楽しさの一つは映画世界に触れる事が出来る点でしょう。あと一つはその映画世界を創り出すのにどのような手法が使われているのかを想像する所にもあるように思えてきました。本作に関しては大林監督の独特の映像をデジタル技術が支えており、作為的な映像世界なのにその作品世界における現実性を見事に実現されています。

本作のロケ地を見て思った事、それは映画とは映像を編集して世界を作り出すという事に他なりません。
どのようにその世界が作られたのか、ロケ地訪問によって僅かながら垣間みられた事は大変楽しい事でした。映画を見られた方で芦別市に足を延ばす機会がある方は是非行かれてみてはいかがでしょうか。

余談1:ある台詞の疑問点
光男と信子の最後のシーンで「24歳と16歳に戻ろう」と言っていたのですが、昭和20年なら「24歳と18歳」じゃなかろうかと。詩集を買ったときなら「22歳と16歳」でしょうか。ちょっと気になった所です。何か別の読み筋があるのだろうか。

余談2:大野國明はどの世界層の人なのか
ハーモニカの男、大野國明の属する世界層、3回見て考え直してようやく現世ではないと気付くなど。最後に義理の息子の事を「未来に生きている」と言っているので、もう亡くなられていて光男を迎えにきたのだなと思ってますがどうでしょうか。