2013年2月24日日曜日

[映画] 世界にひとつのプレイブック

2013年2月22日(金)レイトショーで見ました。
ネタバレあります。
















正露丸みたいな飴をなめさせられて「ぐぬぬ」となっていたら最後はすかっと爽やかかつ激甘なデザートが出て来て驚かされる映画でした。

変な人のオンパレード
パット:主人公。元高校の歴史教師。裁判所命令で精神病院に8ヶ月入院。母親の大車輪な活躍で裁判所から退院許可が出たところから物語が始まる。パットとよりを戻したいと考えて自分を変えようと奮闘。
ニッキー:パットの妻。とある理由で家を出ている。

パット・シニア:父親。パットが入院している間に失業。チーズステーキ(???)の店を出すべくブックメーカーに転進(!)
ドロレス:母親。パットを愛している一番普通の人。
パット・兄:会計士か弁護士らしい。父親も認める出来る子。挫折を知らないのか弟に対して嫌味だがそのつもりはさらさらないらしい。

ティファニー:ヒロイン。夫と死別後、失業して実家に戻っている。
ロニー:パットの親友。成功している不動産業の人らしい。
ヴェロニカ:ロニーの妻。ティファニーの姉。

……あまりネタバレにならないように書いてみましたが非常に普通に見えますね。
でもみんな変なところがあるところが、前半細かく描写されていきます。
共感のしようなんてない展開が続くと見ていて辛い。

ヒロインの威力
正直、最初の1時間は席を立とうかと思ってしまったほど辛い。それでも何か離れられない魅力があった。

本作の魅力の根源はヒロインのティファニー役であるジェニファー・ローレンスの演技力にあると思う。その一点で踏み止まることになったかなと。
このヒロインも強烈にエキセントリック。夫と死別して勤め先全員と寝た、女性とも寝た、それで喧嘩が起きて社長に注意されたのでパワハラで訴えたら首になったと独白。
そもそもパットとの初めて出会った時もすぐ「寝て欲しい」と言い出したりする。
ヒロインの行動についてはパットの精神科医が的確な分析をしていて、この時点で恋の駆け引きを仕掛けられていた事が分かる。
注:余談ですが、米国の労働法制は自由契約が原則で雇用契約に解雇条項が入っているのが普通なので特におかしい訳ではないかなと。

ローレンスの役、映画からは26歳〜28歳ぐらいに見えましたが、実際は23歳。Google画像検索で見てもらうと分かりますが20歳前後で出演した「ウィンターズ・ボーン」やファッション関係のモデル写真仕事を見ていると全く印象が違います。メーキャップもあるのでしょうけど演技力の高さがあっての事。特に目の力が大変強くてその事が本作の当たり役を射止めた要因ではないかと思う次第。

なおWikipedia日本語版の本作項目によるとアン・ハサウェイなど取り沙汰されつつスケジュール等合わず、最終的にオーディションでローレンスに決まったとの事。若過ぎる点が懸念されたようですが、これは原作がヴェロニカの姉=ティファニーという設定だった為。妹に変更されたのはローレンスに合わせる為かなと推定。

感情移入しにくい主人公たち
パット役のブラッドリー・クーパーは目線がふっと合わさない感じがパットの不安定さを象徴。本をぶん投げるところから始まる一連のシーンは、パットが何故病院に入っていたのか「謎」を解き明かしていく構造になっている。そしてパット・シニアが退院を当初嫌がったのも否応なく腑に落ちる。もっともパット・シニアも縁起担ぎと賭博好きで息子にさんざやられて嫌がっていたベッドサイドでの独白などパットの奇矯な行動の源流は父親にあったかと思わせるシーンがあって面白いところ。

パットと両親がくりひろげる病起因の展開は予告で一瞬写る謎の空飛ぶ本のシーンだけでなく、他にもいろいろとありましてパットの目線ともども展開に不安をかき立てそしてパットへの感情移入を拒絶する要因になっている。正直何回か席を立ちそうになったのは確か。

「結婚式の曲」
パットがいう「結婚式の曲」でキレるシーンが2回ほどある訳ですが、1回目のセラピーでのシーンはパットが何故かこの曲で切れる事が明示され、またその事を精神科医が承知している事が分かります。
2回目はティファニーが一向に思い込みから出てこないパットに呆れてぶちきれてパットを追い込んでしまう。ここで「結婚式の曲」のトラウマスイッチが如何に重症なのか理解させられます。ただトラウマスイッチの登場はこれが最後だったかなと。

予告編でのこの曲の扱いは美しいドラマの予感しかしなかった訳ですが、実は主人公にとっての悪夢の曲というのは想像外でした。


それにしてもパットが夜中に結婚式のビデオを探すシーンがあるのですが、そんなものが出て来たら「結婚式の曲」が出てきやしないんでしょうかねえ。(だから隠していたというのはあるかもしれない)

手紙を巡る恋愛戦争
ティファニーは最初からパットに対して恋に落ちている設定らしいので積極的に攻略を仕掛ける。そこで姉を介してニッキとやり取り出来る立場を利用してパットに対して優位に立とうとする。
パットはニッキへの執念自体が病的なものとして描かれている心理状況の為、結果的にティファニーのソーシャルダンスのパートナーとして練習の日々に入って行く。
このあたりの駆け引きは後に「リサーチ」に基づく論理的な説得でパット・シニアらを説得してしまったりとなかなかの駆け引き上手が後に明らかになる訳ですが、そもそも出会い以後の行動からして彼女なりの合理性をもった駆け引きをしてきていて裏付けはあっての話になっていた。

アメフト、ソーシャルダンス競技会、賭博
三題噺のような内容を後半で一気にまとめて展開。ティファニーの「リサーチ」、パットがニッキの手紙を読み返してある事に気付くシーンやダンスの平均評点「5.0でなんで喜ぶんだよ」展開などわりとニヤリとする所多数ですが、まあ大人向きな表現が入ってたりはします。最後はハッピーエンドで終了。最後のパットとティファニーはやり過ぎだとは思った。

感想が書きにくい物語
最後の三題噺を盛り上げる為に前半の共感を拒絶する構図があったのだろうとは後で気付いたところ。確かに気持ちよい終わり方で映画らしいところでした。
TwitterのTL上では原作と異なる部分が多いそうなので一度書店でパラリとしてみて読むか決めたいなと思っています。ティファニーが夫を失ったショックから会社の全員と寝たという話=愛されたいという行動心理に対して恋愛戦争における冷徹な交渉テクニックがどうも合わない印象。この点がどうなっているのかは興味があります。
(これ夫が亡くなった理由に対して起きた症状という解釈だとスッキリするので修正)

補足:原作と映画の関係性
原作があるなら映画脚本は最低限原作の面白さは再現すべきです。模範解答があるのにその水準に達しないというのは映画脚本の負けでしょう。それぐらいは義務だと思う。
その上で原作と映画は個別に評価したいなと。映画が原作の設定しか参照していなくても映画として成立して原作と同等またはそれ以上に面白ければ良いのではないでしょうか。