※ネタバレあります。
原作について
原作はリー・チャイルド(映画で出てくるデスクワークの巡査部長役で登場)のデビュー作にして人気シリーズ「ジャック・リーチャー」シリーズの第9作"One Shot"(邦訳は映画題と同じ)を映像化。日本では第1〜第3作、第8作「前夜」と本作が翻訳されました。(いずれも講談社文庫)
リー・チャイルドは英国人。その彼が本作を産み出すにあたり父親が海兵隊員、母親がフランス人で家族ともども海外を転々として米本土で過ごした経験は陸軍士官学校の時だけというキャラクターを造形して異国人から見たアメリカという少し変わったミステリーシリーズを創造してシリーズで17作も刊行される成功を納めました。
日本での既訳は全て読みましたが、途中飛んでいるのは第2作、第3作の実績が芳しくなかった為ではないかと思っています。実際、賞受賞作は第1作、第8作なのでさほど外していないかなと。
ちなみに第8作「前夜」(リーチャーが陸軍を退役する直前のエピソードを描いた作品)はバリー賞、ネロ・ウルフ賞受賞。第1作「キリング・フロアー」はバリー賞新人賞、アンソニー賞新人賞受賞に輝いており第2作、第3作はノミネートなし、第4作からノミネートされても受賞に到らずで、「前夜」で再び賞獲得という風な評価になっています。
第3作では銃器描写と相反して米軍に対する理解不足が目立っていてB級冒険小説(名称はそれなりにリアルでも実態描写が誇張、噓が目立つ作品)のような展開になっていたのが惜しい作品でした。(ミリシアテーマはそれなりに面白かったので)
個人的には第1作、第8作、第9作は必読かなという印象。ただ第9作から手に取ったとしても問題はありません。故に映画化も第9作で一応問題はない訳ですが、実はそうでもないという。。。
一つ覚えておいて頂きたいのは原作シリーズはミステリーであって単なる冒険ものではないという事です。加えて一カ所に止まらない流浪人という西部劇設定も原作由来。(この点について著者はインタビューに答えて「諸国遍歴の騎士」という表現をしていて、西部劇という言い方はしていません)
このようなスタイルを取ったのは著者が英国人であるという事が関係して要るんじゃないかなと思う次第。
アクション映画としての「アウトロー」
さて、本作のオープニングは原作と同様にアメリカの地方都市での5人の無差別狙撃事件で幕を開けます。バンが市内を走り抜け狙撃地点となった駐車場ビルに入り三角コーンを踏みつぶして車を止める。その間に運転中のホイールを持つ手(手袋をしている)や運転手の顔が映る。車を降りるとコインパーキングに硬貨を投入。ライフルを構えてスコープでターゲットを探してから狙撃。車に乗り込んで冷静に立ち去る。
その後、ようやく到着した警察SWAT部隊が狙撃地点を推測して強襲。現場検証が始まり犯人が残した薬莢を回収。靴の足形を採取。後でコインパーキングから押収したコインの指紋から容疑者を特定。容疑者宅を強制捜索して眠りこけていたバーを逮捕。銃弾のリロードを行う作業部屋などを捜索してライフルや靴を発見。
……というシークエンスが会話なく進行します。ある意味映画的ですが、いくつか「あれ?」という要素があります。
まず、犯人の顔が大きく写るんですよね。ここでもう原作のミステリー要素を放り出す気なんだなと否応なく悟らされます。原作の場合、犯人の顔が大写しになるような描写はありません。誰が真犯人なのかというのは前半で重要な鍵を握っていますし、それ故にリーチャーは駆けつける。そういう展開のはずですがそこは神視点として分かっておけというのが本作の仕組みです。
この他、原作だとバーとリーチャーが関わった際、リーチャーの上官だった美人女性将官、リーチャーが取材を認める代わりに車を貸してもらったりと持ちつ持たれつの関係となった女性TVレポーター、兄を助けるべく奔走したバーの妹といった登場人物は全てカットされて、女性弁護士に集約されるように変更されています。
射撃場のシーンも重要な謎解きをリーチャーはしているのですが、何故か監視カメラに写ったチャーリーの姿だけで納得はあり得ないでしょう。
(余談ですがリーチャーが射撃場で海兵隊狙撃大会で賞をかっさらった際の腕前をキャッシュに披露するシーンでの狙撃中の写り込みはなんだったのでしょうね。あれは別の謎を呼んでいてどうかなと。関係ないならCGなりで消せばいいのに)
一番強烈な改変は最後のシーン。
人質救出のために行動中のリーチャーが敵に銃を突き付けて無力化したのに何故かステゴロバトルしたり。軍人たるもの常に勝つ戦い方を叩き込まれているはずで(弱いものいじめとも言いますが)、実際リーチャーは際どい行動をとっても必要がなければ公平な条件で勝負を挑んだりはしないでしょう。これはどうみてもアクション映画としての演出であり、原作のリーチャーの行動ではないと思った次第。
最後のザ・ゼックに対する仕打ちは多分第1作など参考にして考えたのだとは思いますが、法律に縛られないリーチャー描写をやろうとして無理矢理改変。なら普通に第1作を取り上げればいいのに。。。
という事で原作で作品の面白みを支えている異邦人から見たアメリカで起きる謎(ミステリー)を解く要素はほぼ失われています。
基本、アクション映画として分かりやすく登場人物を削り、単純明快なバトルシーンを増やし、トリッキーな戦い方を廃した結果が映画版という事になります。
これで良かったのか?と言われると、登場人物が異なるのは仕方ないにしてもミステリー要素を分かりにくさと考えて削ったのは原作の良さをオミットしていて残念と言わざるを得ません。
原作がある映画化は原作を参考に更に良くする事が出来る可能性はあった訳です。改変自体止むを得ない事が多い(例えば狙撃シーンで1発ミスショットがあった訳ですが、ポリタンクに変わっているのはロケーションハンティングの結果導入された事でしょうし)とは思うのですが、原作ありの映画化とはいわば後出しじゃんけんです。そこで原作の水準を越えられないような改変を是認出来るかと言えばそれはないですね。ほんと残念です。
湾岸戦争、イラク戦争
ちょっと話題を変えて設定についてもう一つ問題提議。
原作ではリーチャーは湾岸戦争後の軍縮のあおりを受けて退役の道を選んでいます。
本作ではつい2年前に退役。つまりイラク戦争の後に変更をされています。バーが陸軍兵士だった時に起こした事件の話もこの変更を受けて湾岸戦争からイラク戦争でPMC要員に対して起こした事案に変更されています。
原作だと退役して結構な年数を住所不定、免許証やパスポートもなしに放浪していて退職年金の引き出しだけが生存証明になっている事について非常に不思議な印象を警部と検事が抱く重要な背景になっていますが、たかだか2年でそんな印象を持つかなと。
あとバーの秘密についてリーチャーは軍の機密に関わる事として極力公開を避けようと振る舞う訳ですが(この為にリーチャーが何方側につくのか曖昧になってミステリー要素が強化された)、この部分はばっさり切り捨てられていたのも残念です。
登場人物の行動原理の不可解さ
女性弁護士も犯人がほぼ特定出来た段階で「私は弁護士であってこれ以上は職務を越える」と突如手を引きそうになったり、リーチャーがある家の中で人探しをしていた所で三人組の襲撃を受けるのですが何故かどたばたキーストンコップ的な喜劇演出が入ったりと(別にリーチャーを倒した方が賞金を多くもらえると言った描写はないので不可解)登場人物達が突然人格を変えたり、不合理な行動をとりたがるのは脚本家の手腕に大変懐疑的になりました。脚本をカット&ペーストしているうちに描くべき設定を抜かしたように見えますが、こういうのは杜撰としかいいようがありません。
女性弁護士も犯人がほぼ特定出来た段階で「私は弁護士であってこれ以上は職務を越える」と突如手を引きそうになったり、リーチャーがある家の中で人探しをしていた所で三人組の襲撃を受けるのですが何故かどたばたキーストンコップ的な喜劇演出が入ったりと(別にリーチャーを倒した方が賞金を多くもらえると言った描写はないので不可解)登場人物達が突然人格を変えたり、不合理な行動をとりたがるのは脚本家の手腕に大変懐疑的になりました。脚本をカット&ペーストしているうちに描くべき設定を抜かしたように見えますが、こういうのは杜撰としかいいようがありません。
俳優としてのトム・クルーズ
小説の翻訳者のあとがきでチャイルドがリーチャーの役は誰が良いか聞かれて答えた話が出ていますが、基本大男描写なんですよね。本作のリーチャー役はトム・クルーズであり、決して背が高い方ではなく違和感あるキャスティングかなと思っていました。
本作を見てみて、あのトム・クルーズが自身が持つ味の素のような強烈なトム・クルーズ味を封印して彼なりのリーチャーを演じてみせていた点は評価したいなと思うようになりました。例えばモーテルでの警部との車内からのにらみ合いは予告編でも使われているシーンでしたが、なかなか緊張感あるシーンにはなってました。
ただ最後長距離バスで町を去るリーチャーがバス車中で男女二人連れの喧嘩を見て止めようとするシーンで終わるのは、どうみてもリーチャーの行動ではなくトム・クルーズそのものの行動にしか見えなかった点は演出ミスだと声を大にして申し上げたい次第です。(^^;
まとめ
原作はもっと面白いので映画を見る前でも見た後でも是非読まれる事を強くお勧めしたいところです。
映画に関してはシリーズ化するなら登場人物変えてもミステリー要素を安易に切るなとは言いたいところ。その上でトム・クルーズの新境地として見るのは良いかなという観点でお勧めです。