2012年7月28日土曜日

ダークナイト・ライジング

注意:ネタバレがあります。










キャラクターが物語の推進力を持つ作品で、敵役が明確に認識されなかったらどうなるかという野心的なテーマに挑んだ作品と定義できるなあというのが本作に対する私の感想です。

前作はジョーカーという彼なりの「正義」を実現する為に暗躍する強大な敵が明確に存在していて、その事がキャラクターに多くを依存するバットマンシリーズと適合していた。
本作はその敵ベインが当初傭兵とされていて、実際に金で雇われていたにもかかわらず、実際は彼自身の目的の為に行動する。これ、なかなか謎が多くて、冒頭のベイン奪還作戦で一緒に捕まった部下を切り捨てるにも関わらず、その部下は従順にその事を受け入れるシーンが挿入されている。このシーンは明らかに狂信的なものの存在を暗示していると思うのですが、ベインの部下が何故付き従うのかは最後まで明らかにされない。
ベイン自身の目的は示されている訳ですが、信念ではなく金の為に動く傭兵たちはそのような目的に殉じる理由はどこにもありません。

主人公は何故か敵味方から愛されていて「あなたのためだから」的な展開が多数存在していて、主人公は自ら決めた事を貫こうとする事を妨害される。これは前作もそうでしたね。
アルフレッドのある意思決定はそういう延長線上にあります。前作最後に彼が下した判断はそれこそ墓の中まで持って行く覚悟の選択だったはずなのに、何故か本作ではあっさり語ってしまって止める事を選択する。でもその選択は主人公を守るという自らの役割を放棄する事になる。(故にまた出てくるのが理解出来ない)
自ら語るのではなく何かのはずみでバレて主人公から追い出されるといったストーリーの方が自然だと思うのですが、どういう考えであのように演出したのか私には謎です。
それでも主人公のお人好しは筋金入りで、裏切った人に再度チャンスまで与えている。さんざ敵味方から思う通りにさせてもらえない主人公が裏切り者を信用するのか、という点については理由は明示される事はなかったと思う。

最後の決戦のシーンもご都合主義の塊。核融合炉改造爆弾は放置していると自然爆発するけど手動起爆も出来るよ!という設定。その手動起爆を防ぐ為に市警本部長が奮闘する訳ですがそれによって稼げた時間は、というとストーリーとしては蛇足になっている。
爆弾の自然爆発は何故か分単位で時間が予測されている。その自然爆発を防ぐ為に核融合炉保管施設にトラックを誘導しようとするシーンでは実際には誘導する手段が描かれていない。(銃撃で追い込みされようとしている事はトラック運転手側も理解しているので追い込まれるつもりはないだろうし、いずれにせよトラック自体破壊する事で移動手段が消滅する(!)のであり得ない)
その後で「こんなこともあろうかと」と爆弾の安定化を阻止する手段が講じられた事は事前に伏線もなく唐突感が否めない。そして全ての手段が絶たれたバットマンの選択。このシーンを描くのに手段が全てなくなる事を描く必要性は分かるのですが、であればもっと論理的に1つ1つ丁寧に描くべきではないか。

正直この歳で「さらば宇宙戦艦ヤマト」的な何かを再度見る羽目になるとは思わなかったのですが、ヤマトの場合は作戦途中で戦力を損耗している様は描かれている訳で手段潰しは丁寧に為されていたように思える。(記憶で書いているので美化している可能性あり)

見て面白くなかったかと言えば、楽しめたとは思いますが(特に音楽)、キャラクターが魅力的なのにその意思決定と行動理由が論理的ではなかった為に面白みが削がれたのは大変惜しい。
前作のキャラクターを活かした物語造りと対照的な結果に終わったのが残念です。

追記:本作を手放しに褒める評論家はその看板を下ろした方がいいかも知れない。

追記2:
・「ダークナイト」が成功したのはヒース・レジャーの怪演というより快演に支えられた面が大きいと思う。話がいくつかのエピソードを組み合わせたものになっていて、デントの物語はジョーカーが突き付ける「倫理」のエピソードとの組み合わせが良いとは言い切れない。ギリギリ成立していた所があり、それは「ライジング」での破綻を見ると偶然に近いものがあったのではないか。
・町山智宏さんが市民の不在についてEnterJam Podcastなどで厳しく批判されています。あのストーリーで市民を入れると正義に敵対する市民という存在について、何らかの判断を下さざるを得なくなります。2001年3月11日以降、軍人や警察、消防といった身を挺する人々を擁護する機運が強まっているアメリカにおいて、治安当局に対して異議を唱える市民というのは非常に描きにくい存在でしょう。それゆえに無垢な子供たちを市民代表として入れて来たのかなと想像。
副本部長の自宅を本部長が訪問するシーンがありますが私服姿で制服を埋めるように妻に言っているシーンまでありますが、市民の描写はこの副本部長の私服に象徴されていて、その後で警察官部隊の先頭に戻った際に礼装と思われる制服を着て吶喊突撃するシーンは警察官と市民の描写を象徴していると思った。
・警察官部隊については、総動員できないだろうとの話は同感。ただ一時的に根こそぎ動員すれば勤務中の警察官の半数程度は動員出来る(通常業務は非番も召集して対処)という事はあったのかも知れないという組み取り力が必要なのは確か。
・最後の「決戦」の場で最大人数の部隊の先頭に本部長がいないのはおかしい。代わりに副本部長が部隊を率いて死を以て職務を果たすシーンは勇壮ですがチープ。