アカデミー賞受賞作。来週から上映館拡大になるみたいですが、早く見たかったので近そうな上映シネコンを探して1回目の上映を見てきました。
以下、ネタバレ警報発令!
この映画、イラク人が描かれていないとの批判があります。イラク戦争従軍の日本人米空軍少佐のノンフィクション内山進著「戦い、未だ終わらず」や、陸自派遣を取材した宮嶋茂樹著「不祥・宮嶋のビビリアン・ナイト」を読むと基本、任務で出動する以外は基地内に滞在している様子が描かれています。
考えてみれば治安情勢が悪く基地にすら迫撃砲攻撃が行われるような情勢下で、イラク人との接点は任務で出動している時しか考えられません。
という事で爆弾処理班の任務の日々を描いた本作でどうすればイラク人側を描写出来るのかが私には今ひとつ理解出来ません。
アメリカにとっては現在進行形の「現代」を描いた作品。イラク方面の自衛隊派遣を終えた日本に取っては遠い現実という認識の違いもあるんだろうと思います。
……とまず最初に本作の批評を読んで感じた違和感について言及でした。
本作はイラクに派遣された爆弾処理班が直面する酷い現実(というより悪夢?)をひたすら撮り続けた印象を受けます。陸軍や海兵隊の兵士は命令により派遣されて一定日数任務に服したら帰還出来るという希望(これはテロップの残り派遣期間表示が暗示していると思う)で耐えている訳ですが、基地でも迫撃砲攻撃に備えて窓には板を打ち付けて暗がりで暮らし、出動すればちょっとタイヤ交換を手伝おうと車を停めただけで銃撃戦に巻き込まれる。常時アドレナリンは全開で緊張を解く事が出来ない様は見事に描き出されています。
主人公は最後に任務期間を終えて本国の妻と子供の元に戻るシーンが差し込まれています。ここで主人公にとっての日常が既に非現実的になってしまっている様が描かれています。最後のエンドロール直前のシーンで救いのなさを実感しました。
ビクロー監督はアカデミー賞授賞式で「この賞は彼ら(イラク従軍兵)にも贈りたい」と述べたそうですが、士官がほとんど登場しない本作の作られ方を見れば誰に焦点を当てていたのかは明らかでしょう。イラク戦争自体の是非と従軍兵士たちが直面する現実の問題は別の物だと思います。
映画としては実は何も残らない作品ではあります。主人公の最後のシーンを見れば分かりますが、イラク戦争を終わりなき無限ループとして描いており、そこには救いがありません。
圧倒的なリアリティとインパクト、そしてアメリカが直面している社会問題をタイムリーに扱った事が高い評価につながったのでしょう。
という事で、アメリカの視点を体感出来る作品としてお勧めだと思います。
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タマフル・シネマハスラーに投稿していたバージョン。上述の感想作成後、別に書き起こした物ですが、ベースラインは同じ。少し考えが深まった部分があります。
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ハート・ロッカーは現代の無間地獄で戦う米国兵士を描いた「ノンフィクション」的フィクションじゃないでしょうか。
米国兵士と書いたのは、視線があくまでもアメリカ人であって、イラク人ではない事にあります。
イラク人の描写は、通訳など米軍側に協力しているごく少数の人々に限られます。米軍兵士に視点を合わせると基地内か任務での出動に限られるのでイラクの人々との接点はごく限られたものになるはず。米国兵士の目線でリアリティを追求すればこのようになるんだろうなと思います。
「イラク人が描けていない」問題は、この視点に起因します。登場するイラク人の多くは爆弾を仕掛ける側だったりそれを眺めてたり、避難する群衆のみ。
爆弾を仕掛けるイラク人は基本何を考えているか分からない事を強調した不気味かつ理解不能さを明確に打ち出した演技。たしかに一部の方々が「イラク人が描けていない」となるだろうなとは思います。ビグロー監督もこの点は気にしているのかイラク人少年「ベッカム」や、最後のシーンの中年男性の描写でカバーしようとしたのかなぁと想像しています。
実際にイラク人が主人公たちにもっと深く絡むような展開を入れて良いのかと言えば別でしょう。本作は基本的に進行中の現代を描いています。現実のイラクでの米国兵士とイラク人の接点の少なさを考えれば、本作の演出は当然だと思います。
この批判、スパイク・リー監督がイーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」で絡んだ際の展開と似ている気がします。
「この作品は硫黄島に星条旗を掲げる有名な写真について描いたものであり、旗を掲げた米兵の中に彼らはいなかった。もし黒人米兵を描いたなら、『こいつは頭がおかしいのか』と言われていたよ。それは正しくないことだからね」※
本作について言えば、「この作品はイラクに従軍した爆弾処理班の日常について描いたものであり、彼らが深く接したイラク人はいなかった。もしイラク人を描いたなら、『こいつは頭がおかしいのか』と言われていたよ。それは正しくないことだからね」という事なのでしょう。
※http://www.afpbb.com/article/entertainment/movie/2403318/3020670 より引用。
映画として考えると、シネマハスラーでよく言われる「主人公の成長」がない作品だと思います。
主人公は基地の中では迫撃砲攻撃に備え、いざ出動すれば危険な爆弾処理。そして単に移動中に車がパンクしていた友軍(特殊部隊?)を手伝っていたら攻撃を受けてしまう。映画は緊張感が抜けないシーンが延々と続きます。
兵士たちの希望は服務期間の終了だけ。これはスクリーン上に時折表示される残り服務日数で暗示されていると思います。
爆弾処理班は服務期間最後の出動で残酷極まりない、かつ救いの一切ないシーンに直面します。その後暗転して帰国後の奥さんと子供との幸せなはずの日常描写になるのですが、主人公にとっては既に日常が非日常と化している事が描かれます。
そして最後に再び1年に及ぶ服務期間のスタート。。。
主人公は日常に戻ろうとしても戻れず結局「最前線」に戻るという現代の無間地獄の道を選択しています。
この映画は主人公が現代の無間地獄から脱出せずに、再びそこへ戻る選択というやりきれない展開を突きつける事で現代アメリカが直面している社会問題を描写したものだと思います。故に「主人公の成長」ではなく「主人公の悪戦苦闘」を描く事を選択したのでしょう。
登場人物の選択も興味深いです。ある程度描写がある高級士官は医師(大佐だったか)だけ。途中、主人公らの所属する部隊の指揮官が登場して「勇敢だな!いったい何個処理したんだ!」といった典型的な戦争バカ描写があります。ここで主人公は思いついたかのように「873個であります」と返していますが、この程度に過ぎません。この映画は決して戦争の英雄を描こうとしている訳ではなく、爆弾処理という「戦後処理」を兵士の目線で描く事に忠実だったためじゃないかと思っています。
今年のアカデミー賞はアメリカの社会問題意識の発露になった気がします。それゆえに「アバター」ではなく「ハート・ロッカー」が、そして「The Cove」が受賞する事になったのだと思います。両作品ともアメリカの視点を体感するのに良い作品ではないでしょうか。
(その思想、信条に共感出来ない部分もあるとは思いますが)
#イラクでの米軍兵士の様子は日本人ながら米国陸軍兵士から空軍少佐となった内山進さんの自伝「戦い、終らず (ヒロシマ・アメリカ・イラク-現役米空軍少佐の記録) 」に記述があります。この方はイラクで基地防衛に携わられており本作の理解に役立つと思います。
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28日のTBSラジオ<ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル>ポッドキャストで、宇多丸師匠と映画評論家の町山さんの対談(というより論戦)が公開されています。
主人公の成長については、最初は単なる爆弾解体バカだったのが色々な泥沼悪戦苦闘を経て帰国するも天職(というか使命?)に気付き再び戦地に赴くという「成長」を描いた映画との分析に思わず「俺、読み浅い。。。」と反省。3本、1時間30分という長大なポッドキャストですが、本作の評論としては多分最強だと思います。お勧めです。
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4月10日追記:この映画、エンディングって、そのままオープニングにつながってループしている気がします。多分、再派遣されたジェイムズ軍曹はロボットも併用する普通の爆発物処理班長になり、そして任務中に巻き込まれて……という可能性がもう一つのエンディングではないかと思ったり。(多分、深読みし過ぎです)