2019年6月13日木曜日

米国におけるオピオイド鎮痛剤の違法処方と麻薬の違い

アメリカで猛威を振るっているオピオイド処方鎮痛剤問題。ドラマや映画、小説などフィクションでもテーマとして取り上げられるようになってきた。
麻薬戦争とはまた異質な部分があるので内容をまとめてみた。現代アメリカに興味のある人、現代アメリカを舞台にしたフィクションが好きな人は押さえておくべき話でしょう。



1.麻薬とオピオイド処方鎮痛薬

(1)麻薬
・コカインなど違法な栽培、製造、流通経路を経て取引されている。
・メキシコ、コロンビアの麻薬カルテルが製造・精製から流通まで手がけているとされる。これらの国でも合法ではないためカルテル組織が収賄などを行なって政府や警察を蝕んでいる。

(2)オピオイド処方鎮痛剤
・オピオイド受容体に作用する強力な鎮痛剤。モルヒネもオピオイドに作用する鎮痛剤の一種であると言えば何故こんな薬が簡単に処方されるのか理解に苦しむものだとわかるだろう。本来ガンなどのQOL改善のために用いられる。
・1995年、オキシコンチンというオピオイド系鎮痛薬が米国で承認された。依存性の少ない鎮痛剤とされがん患者以外にも処方された。依存性がない訳ではなく、中毒が進むと粉末状にして鼻からの吸引、静脈直接注射で用いる人が続出、米国での過剰摂取(Overdose)による死亡事故が急増した。処方箋さえあれば合法的に購入できる事が問題を深刻化させた。
・製薬会社が積極的にオピオイド系鎮痛剤の拡販マーケティングを行った事で安易な処方、利用が続出した事も問題を加速させたとみられている。
・2012年、ヘロインの過剰摂取死亡者数が2010年の2倍に達した。これらの人たちは4人に3人までもがオピオイド系鎮痛剤の依存症から麻薬に手を出して過剰摂取に至ったと推測されている。

・ナショナルジオグラフィック「世界の麻薬産業」シーズン2第8話「鎮痛剤依存」(2012)を取り上げている。このドキュメンタリーのコピーでは「処方薬の鎮痛剤乱用者は、麻薬中毒患者の人数よりも多く、交通事故に次いで2番目に高い死亡率になっている。」ちなみに2015年のアメリカの交通事故死者数は世界でダントツに多く人口10万人あたり10人を超えている)日本は3.8人。最も少ないノルウェーで2.3人)
このドキュメンタリーの中で法執行機関職員いわく「麻薬よりもオピオイド鎮痛剤の方が問題の根が深い」的な証言をしている。2012年の段階で既にそういう発言が出ている。

・国会図書館:立法情報2018年11月No.277ー2『【アメリカ】孫を養育する祖父母を支援する法律』の解説でもオピオイド過剰摂取問題は取り上げられている(http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11179142_po_02770202.pdf?contentNo=1)。
「アメリカでは医療用鎮痛剤オピオイド(opioid)の過剰摂取による死亡が社会問題化している。保健福祉省(Department of Health and Human Services)の統計によると、2016 年にアメリ カ国内において、オピオイドの過剰摂取が原因で毎日115人以上が死亡した。特に妊婦の中毒 者の増加が深刻であり、1999年には 1,000人中1.5人であった妊婦のオピオイド中毒患者数が、2014年には6.5人へと急増している。また、2016年の薬物の過剰摂取による死者は63,632人 (前年比22%増)、その約 3 分の 2 がオピオイドに関連すると報じられている」

医療ガバナンス学会 Vol.015『「製薬会社」が米国を滅ぼす鎮痛剤「オピオイド危機」の現実』では過剰摂取の原因に「人種偏見」があるという説を紹介している。
・オピオイド系鎮痛剤の流行には人種差があり、依存者には圧倒的に白人層が目立つ
・地方に住む若い白人の薬物の過剰摂取が大幅に増加
・この現象に対して、ブランダイス大学ヘラー社会政策・管理大学院でオピオイド政策研究の共同責任者を務めるアンドリュー・コロドニー博士が、2017年11月4日の『ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)』で、以下のように解説した。「人種に対する『偏見』が、白人以外の人種をオピオイド中毒から守ったと言えるのです。医師は無意識のうちに、麻薬系の鎮痛薬を黒人やラテン系の人たちに処方することを避けてしまいます。というのも、これらの患者が依存症になることや薬を転売することを警戒したり、あるいは痛みを訴える彼らへの思いやりに欠けたりするからです。そのため黒人やラテン系の患者は、麻薬系の鎮痛剤を処方される可能性が低く、依存症になることを免れるのです」
・麻薬戦争において連邦と州、自治体は検挙重視の対応を行ったが、オピオイド危機で白人層に薬物利用が広がった事に対しては非常に異なる対応をしている。オピオイド危機について議論してきた多くの共和党の政治家は、犯罪として取り締まるのではなく、依存症患者が効果的な治療を受けることができる必要性を訴えている。クラックコカインが流行した時代は、残念ながらこうした声を聞く事はなかった。


2.薬物依存症とは

・「薬物のことを思い出させる物や人、状況に刺激されるたびに渇望が高まり、「薬物を使いたい/やめたい」という葛藤に揺れる状態は、薬物をやめてかなりの期間を経過しても続くのです。したがって、この質問における「治る」という言葉が、「目の前に薬物を置かれても全く動じなくなる」という意味であれば、「薬物依存症は治りません」と回答するしかないでしょう。」
日本精神神経学会『松本俊彦先生に「薬物依存症」を訊く』より抜粋(https://www.jspn.or.jp/modules/forpublic/index.php?content_id=30)。

・薬物依存症とは薬物摂取していた時の友人やその際に使った器具(それに類似するもの)などが引き金になって再び薬を摂取したい衝動に駆られる症状を言う。
・映画「ビューティフル・ボーイ」「暁に祈れ」はいずれも麻薬による薬物依存症に悩まされた人が主人公の実話ベースの映画化作品。両作品とも最後に主人公が何年間薬を絶ってクリーンを維持しているという言い方をしているのは、何が引き金で衝動が出てくるか分からない終わりがはっきり見える事のない戦いである事を示している。



3.オピオイド鎮痛剤のフィクションでの描かれ方

・アメリカのフィクション作品でもこの問題は取り上げられるようになって来た。amazonプライムオリジナルドラマ「ボッシュ」シーズン5はオピオイド鎮痛剤の違法流通について取り上げた作品となった。
・リー・チャイルド「ミッドナイト・ライン」はジャック・リーチャーシリーズの邦訳最新刊。本書でもオピオイド系鎮痛剤が登場しており重要な位置付けがなされている。
・Netflix「サバイバー 宿命の大統領」第3シーズンでは処方鎮痛剤で大儲けした製材会社が如何に承認を取り付けたのかという不正問題を劇中で登場させている。



4.映画「ベン・イズ・バック」の衝撃

・ふとした大怪我の痛みに対して家庭医からオピオイド鎮痛剤を処方された事で薬物依存症になった少年とその母を通して、この問題を見つめた作品。薬物依存症になった事の是非を分かった上でなお衝動と自らを罰したい感情を抱えるベンをルーカス・ヘッジズが、その母をジュリア・ロバーツが演じた。
・監督:ピーター・ヘッジズ

・クリスマスの日からイブの朝までを描いた。24時間にも満たない劇中時間の間にベンの薬物依存症への衝動、自分がやってしまった悪事への後悔とベンが薬物依存症になってしまう様を止められなかった母の後悔とそれでもなお救おうとする様子が描かれている。
・昔の友人を見ただけで動揺し、家中の薬が隠されたはずなのにどこからか探し出してしまう不運。当時の記憶の何がベンの依存症の衝動のトリガーになるか分からない。だけどベンは独自のこだわりを持って精神を保っているので、そういうトリガーと出会うリスクを抱えても外へ出かけたりしないでいる事が出来ない。どこに地雷があるか分からない精神状態で戻ってしまった事が前半でよく見えてくる。
・劇中の重要なターニングポイントとしてある事件が起きる。普通ならジュリア・ロバーツ扮する母が言うように血眼になる事はなさそうな存在に対してベンが執着するのは彼にとって「象徴」だからなのだろう。これがもっと大きな存在だと執着するベンを見せる事が出来ない。だからこその選択になっていて巧み。
・本作はハッピーエンドに見える構図は示されている。でも薬物依存症の戦いは長期にわたる。下手をすれば生涯に渡って「終わりなき戦い」になるかもしれない。そういう衝動を早く薄れさせればさせるほど死から遠ざかる事が出来る。でもベンはそんな状況には程遠い。目前の死のリスクをどうやってかわすかという日々がある。この作品の最後の提示はパンドラの箱に残されたかすかな希望の光だと思う。それは淡くすぐ消えかねないかすかな希望でしかない。そして朝を迎えた事で新たな戦いの1ページが始まっている。本作は「終わりなき戦い」のほんの一瞬を捉えたものでしかない事も同時に突きつけて終わっている。

(参考)
医療ガバナンス学会 Vol.015 「製薬会社」が米国を滅ぼす鎮痛剤「オピオイド危機」の現実 http://medg.jp/mt/?p=8094
ナショナルジオグラフィック「世界の麻薬産業2」 https://natgeotv.jp/tv/lineup/prgmepisode/index/prgm\_cd/862