2018年5月10日木曜日

Their finest / 人生はシネマティック!

ダンケルク撤退戦の後、バトルオブブリテンでロンドン空襲が激しい頃の映画づくりを通して映画と死の持つ意味を描いた傑作。







ネタバレがあります。

あらすじ

ダンケルク撤退戦を経てバトルオブブリテンに突入した1940年秋のロンドン。いささか出来に問題のある戦意高揚娯楽映画を見ていた若手の脚本家はチップスを包んでいた新聞紙の漫画を見てそのセリフを書いた女性カトリンを情報省映画局 Ministry of Inforamtion Film divisionに推薦、採用された。秘書のつもりで来たカトリンは実際には脚本家として情報省が作っている広報映画作りに関わるようになる。
そんな中、戦前コメディ映画で興収一位を取っていたベイカープロが戦意高揚(楽観性と信憑性)を持った娯楽映画の製作を企画。カトリンをこの世界に引き込んだ脚本家は彼女に新聞切り抜きを渡して脚本開発のための調査を依頼した。彼女はその記事に出た双子の姉妹によるダンケルク撤退戦での関わりについて実際にはダンケルクの手前でエンジン故障で曳航されて戻った事、その際にあふれんばかりの将兵の一部を移乗させたので戻ったときに新聞記者に誤解されたことを知る。でもこの企画を実現したかったカトリンは姉妹がダンケルクで将兵を乗せて戻ったというラインでまとめその中に姉妹から聞いた犬やフランス兵のキスなど混ぜて報告した。果たして情報省とベイカープロは制作に合意。脚本開発が始まり他の省庁からの脚本への懸念や支援の名の介入を受けながらも撮影に入って行く。


映画という表現に込められた意味・実際の死が持つ意味

一本の映画を作ることを追った作品ですが、死に本来意味はないというテーマも埋め込まれている。
新人脚本家カトリンが先輩脚本家たちと組んで次々と襲いかかる難題を処理して楽観的で考え込まれたフィクションを生み出そうとする。そんな中、プロダクション会社経営者の孫が事故で亡くなる。カトリンは無意味な死では辛いという。それに対して先輩脚本家は死自体に意味はない事、映画はあらゆる要素が考え込まれて作られていてそこに人は魅入られるんだというような話をした。

カトリンは脚本開発前の取材でスターリング姉妹に会った夜、地下鉄から出た所で爆撃に会う。彼女は幸い無事だったもののほんの少し先を歩いていた女性が死んでいた。ほんの数分前、地下鉄の駅構内で出征兵士に絡まれていて振り切って出てきた所の死だった。
映画に出ることになる老俳優はエージェントの男が残業中に爆弾を受けて亡くなったから身元確認をして来て欲しいとその姉に頼まれ確認した。老俳優のためにダンケルク映画のキャづティングを得ようと奮闘していた矢先の唐突な死だった。
最後に訪れる死にも意味はなかった。ただ不意にこの世界に乱入して物理的事象の結果として死が訪れ、その事がカトリンを叩きのめす。

カトリンの手中に残ったもの

映画が最終段階での事故で死傷者を出し、俳優たちの一部は戦争へ復帰したり他の仕事でおらず完成が危ぶまれた時、カトリンの脳裏に愛する人の過去の声が響く。あれは一言で言うなら「カトリン、君にはまだ映画があるじゃないか」という事なのだと思う。
カトリンは当初の主張(彼女は女性だって活躍させろという意思を持っている)で持っていた案を引っ張り出してベイカープロ、監督たちも納得するしかない起死回生のプロットを提案。映画は完成した。

カトリンを引き戻したもの

カトリンは映画の完成を見届けると一度情報省の仕事を離れてしまう。だからプレミアにも姿を見せない。でも彼女無くしてこの映画は完成しなかった事はみんな知っている。そして辞めた理由、去った理由を知っているから見守るしかないと思った人が大半だった。

でも、そんな事を斟酌しない人がいた。老俳優はダンケルク映画で復活するまで過去の栄光に囚われた人だった。優しきエージェントは中々彼に事態を認識させられず、結局亡くなった後にその姉が厳しく現実を伝え勝ち取るべきものは勝ち取るという姿勢で応援した事で見事に復活した。でも彼は自分が戻れたのはそれだけでなく若い男声が戦争に行っていていないからだと知っている。女性に機会が与えられているのも同様。本作でもカトリンは男性はこれぐらいだけどと女性であるという理由で賃金を低くされている。
カトリンと共にベイカープロに送り込まれたロケハンなど設営など担当した制作関係の女マネージャーも戦争が続けば私達に仕事の機会が増える認識を持っている事は語っている。
老俳優はカトリンの元を訪れて彼が思う認識とカトリンへの望みを話した後帰り際に言う。「あの映画はいい映画だ。私が出てるからだけどね」そんなふうな事を言って去っていく。

映画が残したもの

カトリンは老俳優が誉めてくれた私達の映画(彼と一緒に作り上げたものでもある)をようやく観に行く。途中から入るとほとんどの席が埋まっている満員御礼状態。観客は脚本家チームが作り込んだフィクションに一喜一憂し時に涙し大いに笑った。
そして映画のエピローグ。劇中のヒゲの監督が大変味な事をしてくれていてカトリンも息を飲んでいた。一瞬のカット。たまたま入り込んだ情景。監督たちはあの二人が誰かぐらいわかっていて敢えて入れたに違いないカット。ほんの一瞬の記憶の結晶。
映画とはあらゆる要素に意味がある。そしてそれは時に記憶の贈り物をくれる。

「君にはまだ映画があるじゃないか」

彼女が映画製作の現場に戻り再びタイプライターを手にした時。そのタイプライターとその机の元の持ち主に対する愛があふれていた。
「君にはまだ映画があるじゃないか」
映画作りの始まりから終わりまで描く中でカトリンの成長、映画と死の持つ意味を描いた見事な作品だと思う。



余談「Their Finest」の由来
原作小説のタイトルは”Their finest hour and a half”。大元は1941年6月のチャーチル演説から取られていて、そこに1時間30分という映画の一般的尺の長さを足している。
チャーチル演説でいう「最良の時」とは1000年後にこの時代が英国最良の時だったと言われるようにしようという意味で語られている。
そしてチャーチル演説のこのくだりは戦争省(陸軍省)に呼び出しを食らった時に戦争大臣から告げられるシェイクスピアの戯曲「ヘンリー五世」の聖クリスピンの日演説から取られている。ここでは、この決戦に馳せ参じた者は幸いなる少数として参加できなかった者たちから羨ましがられ、そして後に老いてから「この傷はあの戦いに参加した時のものだ」というふうに自慢できるようにしようじゃないか(大意)という内容。チャーチルはこの事を背景に「最良の時」演説を言っている。