2016年6月9日木曜日

映画『ボーダーライン』国境線、法による秩序と無法、嘘と真実を分けるものは何か

 「ボーダーライン」(原題『Sicario』)上映規模が小さくたまたま出張先で一度見た。そして、なんやかんやともう一度見る機会を作る事が出来た。ヴィルヌーヴ監督作品は「複製された男」「プリズナーズ」を見てますが、私的には本作がベスト。


1. "Sicario" とは
 本作のヒロイン、ケイトは人質救出チームのリーダーとして最前線で危険な突入任務をこなしている。法律を遵守して連邦警察であるFBIの一員として摘発を行えばいいという考え方をしている。これは観客の常識と一致しており、彼女が本作内での観客の目、価値観の象徴である事を示している。パートナーのウェイン捜査官にしてもそれは変わりがないが、彼はイラクで胡散臭い工作を行っている連中を見ていて、その分、国が汚い事をやる時どこまでやれるか多少気付いている。

 このケイトをカルテル摘発の為のDHS(国土安全保障省)・軍共同タスクフォースに引きずり込んだのがマット。そのパートナーとしてアレハンドロが登場する。マットの力は絶大で米軍特殊部隊デルタフォース、空軍無人偵察機、ノーペイントの要人輸送機を自分たちの輸送で手配するなどやりたい放題。また国土安全保障省にも顔が利くというオールマイティーなジョーカー的な人物像で描かれている。彼は真実につながる情報は率直に伝える事はしないし、嘘も平気でつく。
 アレハンドロは誠実にケイトとウェインに接しているが、どれぐらい誠実かと言えば左手で相手に同情を示しながら、右手で言う事を聞くか死ぬか選ばせる事が出来る。そういう人物である事がそこかしこで表現されている。

 本作はケイトの目から見た地獄を巡る旅、つまり現代のダンテ「神曲」地獄編にあたる作品と言える。どれぐらい性格が悪い作品かは見ていただいた方が良いが、緩いシーンが一つもない。というか油断していると思いがけないものを見せつけられる。
2016年公開作屈指のスリリングな映画だと思う。


2. 各シーン用語解説

(1)人質救出作戦
  • 冒頭の装甲車の突入。見ていると正面側から突っ込んでいるように思えるが実際はリア側から体当たりした直後にハッチを開いて強襲要員を家の中へ下ろしている。突入直前、エンジンの回転音が甲高いのはどうやらバック・ギヤを使っていた為らしい。なお証拠品押収シーンでは装甲車がトレーラーに積み込まれておりリア部分だけ白い埃で汚れていた。
  • FBIで突入したのはケイトとウェインの二人のみで他の隊員はSWAT隊員(おそらく地元警察所属)だった。なお装甲車もSWAT所属。

(2)国土安全保障省(DHS)での会議
  • マットらが行っていた会議はDHSのフェニックス支局らしき所で行われていた。(ケイトらが待たされていた場所の壁にDHSの記章が飾られている)
  • DHSでの会議で一部出席者が退席後に残っていたのは FBI 2名(首からバッジをぶら下げていて識別可能)、謎の人物(DHSかDEA?)とタスクフォースリーダーとして主導権を握っていたマットの4名。

(3)ケイトとウェイン、シルビオ
  • ケイトが吸っているタバコの銘柄は「INDIAN CREEK」。自宅の机の上や本人がパッケージを破るシーンなどで何回か大写しされる。この銘柄、メキシコでも売られているのか何故か冒頭から何回かカットインされてくるメキシコの平凡な警察官シルビオの寝室のナイトデスクにもカートン箱がのっている。この二人がどう関わるかという魔に魅入られたような交錯を考えると意味深。
  • ケイトのパートナーのウェイン捜査官はROTC(予備士官教育課程)スカラーシップで大学に進学。(在学中に通常の学業と並行して士官教育を受けている。)大学を卒業後、陸軍か海兵隊の士官としてイラクに派遣されており、その経験について少し語るシーンが含まれる。除隊後、大学で法学を学んでおり作戦当初マットから避けられる事になった。

(4)フォート・ブリスへの空旅
  • ルーク空軍基地はアリゾナ州所在、戦闘機部隊が配置されている。パンフレットを見ると軍の協力はなかったそうですが、C-17などどうやって撮ったのか謎。
  • ルーク基地から飛んだ先はテキサス州のフォート・ブリス陸軍駐屯地滑走路らしい。(脚本には地名表記あり。但し最終稿ではないので異なる可能性はある)
  • フォート・ブリスがエル・パソに隣接という事でマットが言った事は全て嘘という訳ではなかった。(目的地自体ではないのでとても本当の事でもなかった)
  • 所属部隊、基地等がペイントされていないビジネスジェットというとCIAがテロ容疑者を他の国に移送して米国では違法な取り調べを行っているという話を想起させる。

(5)フアレス
  • メキシコからの容疑者引き渡しを受ける際は、法的な理由からか連邦保安官2名がチームに参加していて容疑者の引き渡しはこの二人が受けている。デルタフォースとマットら三人はあくまで護衛という立場。
  • DEA(麻薬取締局)のメンバーも参加。(ブリーフィングでジャンバーを来た人物が写り込んでいる)麻薬カルテル相手なので当然と言えば当然。
  • 容疑者引き渡し作戦などで出てくるSUVはシボレー・タホー。サバーバンより一回り小さいようですが、警察など公用車としてもよく使われている車種の一つ。
  • フアレスは2012年頃には年間1,500人近い殺人犠牲者が出ていた。近年この数字は急速に低下しているが外務省の海外安全ホームページではレベル2の「不要不急の渡航は止めてください」の指定を解いていない。映画では警察官の腐敗が強調されていたが、警察当局が襲撃される事もあるという。
  • フアレスに入りアレハンドロがケイトに”Welcome to Juarez"とつぶやく。その後、車列が一時停車してルート変更するシーンでアレハンドロとフォーシング側の車窓から建物の壁に貼られたポスターが何枚も見える。(8人〜9人分までは確認)
  • そのポスターの見出しは全て "ayúdanos a localizarla"となっていて女性や子供の写真と文章ではなく箇条書きされた何かが印刷されている。このポスターの見出しの意味は「助けてください。探しています!」。行方不明者の消息について情報提供を求めるものだった。予想はしていたけど衝撃。

(6)ツーソンの不法入国者たち
  • ツーソンに集められた不法入国者たちは国土安全保障省の税関・国境警備局USCBP(=Customs and Border Protection)と連邦施設警備など担当するDHS部局の一つであるFPS(=Federal Protective Service)がマットの依頼を受けて収容中の人々を集めたように見えた。

(7)麻薬戦争
  • CIAは米国内で活動が禁じられているのは作中での指摘通り。なお対テロ作戦ではテロ組織要人をリストアップした殺害目標リストがあり大統領の承認の元で実施されている。本作でもケイトの上司が選ばれた人々が決めた事といっているが、おそらくはこういうレベルの政治的判断、命令を想定して語っていると思われる。
  • CIAが対テロ作戦でCIA独自に無人機を運用している事はリチャード・ウィッテル「無人暗殺機ドローンの誕生」(文藝春秋社)にも出てくる。今回の設定だと(CIAの国内活動問題に抵触する恐れを考えると)空軍の無人機を投入している設定じゃないかと推定。
  • デルタ隊員からRule of engatement について聞かれたマットは後で言うと言い、トンネル突入直前にWepons freeを宣言。火器使用自由=隊員判断で先制発砲も可というもの。容疑者引き渡しを受ける際のROEは相手の発砲後だっただけにトンネル攻撃作戦が如何に攻撃的な性格の軍事作戦だったか分かる。

(8)フォード・クラウン・ヴィクトリア
  • シルビオが乗っているソノラ警察のパトカーは米警察で多く採用されている車種のフォード・クラウン・ヴィクトリアの1999年型らしい。
  • フアレスの地元警察パトカーとしてフォード・クラウン・ヴィクトリアの1995年型が出てきている。
  • ケイトとウェインがマットらのモーテルに行った際に乗って行った覆面公用車はクラウン・ヴィクトリアの2000年型らしい。

(9)作中舞台マップ

 舞台となったアリゾナ州フェニックス/ルーク空軍基地/ツーソンとメキシコ州フォート・ブリス陸軍駐屯地、メキシコ・ノガレス、フアレスの位置関係は下記地図の通り。
ルーク空軍基地からツーソンまでGoogle Mapの経路検索だと223km。映画だと160kmと言っていた気がしますが何故食い違うのか謎。(これはウェインが "hundred mile" と言っていたのでそもそも数字を適当に言っていたものと推定。ケイトが2時間ぐらいと言っていた訳ですが223kmなら高速道路使えば妥当な数字)