2015年6月25日木曜日

[映画] グローリー/明日への行進(原題: SELMA)

この作品、冒頭から最後まで大変な緊張感に溢れている。終わりですら何人かは悲劇的な運命を辿っていて単なる勝利感にはならない。史実のエッセンスを追体験させる作りになっている事が大きい。
何故血の日曜日事件が衝撃を与えたのか、何故デモに参加して飲食店に逃げ込んでいたのに撃たれなければならないのか。何故唾を吐きかけられ、いきなり殴られたりしなければならないのか。差別・区別と偏見に対してされた側がその時どう思ったであろうか。実際にその時にそこにいた人がどう感じたかを体験させる映画となっていて、本作の監督の力量を感じた。


史実を確認してみると映画はかなり忠実に再現しているように見える。
映画ではジョンソン大統領が公民権運動推進者に見えにくい所がありますが、議会政治に通じており精力的に推進した事で知られていますし、台詞で触れられているように議会との政治は内政、外政からベトナム戦争まで様々なテーマがあった訳で、劇中の台詞は字句通りの意味で決して軽視していた訳ではないしそういう意図の演出ではないだろうと思う。
フーバーFBI長官を抑え込みきれてないように見えるが、そもそも歴代大統領に対してアンタッチャブルな立場を堅持していた人物だったので大統領とのやり取りシーンが入っているのはちょっと誤解させそうな要素になっている。ああいう人物を48年間亡くなるまでFBI長官のポストから動かせなかったのはアメリカの不思議な所。

この映画はセルマの行進で争われた有権者登録を巡る攻防を描いている。
キング牧師がその名前を知られるきっかけとなったバス座席の人種区分に対する反対運動からワシントン大行進、公民権法成立に到る流れは本作では描かれていないが、そういった事を知らなくても、何故有権者登録制度が重要な争点と見なされたか分かるように作られている。
映画冒頭の有権者登録審査での他の有権者でも回答出来る訳のない恣意的設問のやりとりや雇用主がここに来た事を知っているのかといった嫌がらせ(即日雇用主に連絡が周り解雇されてしまっている話が参考図書には出ている)が描かれている。そこを乗り越えて登録出来たとしても住所、名前がわざわざ新聞に載せられる為にKKKなど人種差別の強硬派から襲われる恐れがある。また有権者登録には人頭税の支払いが必要でその事自体が経済的に厳しいアフリカ系住民にとって足かせになっているといった様々な問題が劇中で挙げられる。
米国の地方自治選挙では首長や議員だけでなく保安官も選挙で決められるためアフリカ系の有権者登録を意図的に抑え込む事は南北戦争後100年間人種による区別、区分を正当に行う手段となってきた。(セルマ市の場合、人口の半数がアフリカ系住民だったがその大半は有権者登録出来ていなかったし、出来る事を知らなかった人も多かった。)
この映画は有権者登録問題というハードルをEdmunds Pettus橋に見立てていて、その時、キング牧師たちは何を乗り越えようとしていたのか巧く図式化して見せている。

こんな傑作がたった20館で日本公開スタート。拡大公開になればいいのですが。

参考書)バーダマン「黒人差別とアメリカ公民権運動ー名もなき人々の戦いの記録」集英社新書


セルマからの行進に到る公民権運動の経過
  • 1956年 モンゴメリー・バス・ボイコット事件(人種によるバス座席区分への講義運動)で連邦最高裁で人種分離法の違憲判決を勝ち取る。
  • 1963年8月 ワシントンD.C大行進
  • 1963年9月 バーミングハムでKKKによる教会爆破事件が起きアフリカ系少女4人が死亡。
  • 1964年7月 ジョンソン政権下で公民権法成立。
  • 1964年12月 キング牧師(映画ではドクター・キングと呼ばれるが、これは神学博士号を取得していた事による)、ノーベル平和賞授賞。
  • 1965年2月18日 デモに家族と参加したジミー・リー・ジョーンズ氏がデモ鎮圧の警察隊から飲食店内に逃れた所を警察官が襲撃。家族をかばった同氏が警察官に撃たれて数時間後に死亡。
  • 1965年3月7日 セルマからバーミングハムへの1回目の行進で血の日曜日事件が起きる。
  • 1965年3月9日 2回目の行進
  • 1965年3月15日 ジョンソン大統領が選挙権行使妨害防止法案を提出。
  • 1965年3月17日 連邦裁がセルマの行進を認める判決を出す。
  • 1965年3月21日 3回目の行進。5日間にも及んだと言われる。州都でキング牧師が演説。
  • 1965年8月 連邦議会で選挙権行使妨害防止法成立。
参考) http://page.freett.com/globalgospel/jpdiary/2007/03.32.2007.html