2013年4月22日(月)レイトショー、5月4日(土)朝の回で見てきました。
ネタバレあります。
といっても歴史物なので何がネタバレかな問題はあるかも。
衝撃のオープニング
噂に聞いていましたが、まさかのスピルバーグ監督が映画のテーマについて解説していたのはどうかなと。リンカーン大統領は知られていても南北戦争史や政治情勢は知らないだろうと言う事で入れられたのだと思いますが。
「裏切りのサーカス」でリーフレットで補足説明を試みた事がありました。あれもおせっかいだと思っていましたが、あれなら観客が読むか選べるのはメリット。もう少し考えて欲しい所です。
追記:ここはアメリカ合衆国憲法の第5章の憲法改正に関する条項を表示すれば事足りたのではないかなと。あと上下院の定足要件(過半数の出席)とその中で2/3のYes/Yea/Ayeが必要という事が本作中の物語の原動力となる「ルール」なのですから。
原作のどこを掬いとったのか
原作はドリス・カーンズ・グッドウィンの「リンカーン」(文庫版で3冊)。原題は"Team of Rivals"となっているように1860年の大統領選でのリンカーンの対立候補3人を主要閣僚(当時の閣僚は国務長官、財務長官、海軍長官、陸軍長官、郵政長官など数名分のポストしかなかった)に据えたリンカーン大統領が妻の暴走、子供の死などのホワイトハウス内側での悩みと南部連合との内戦(相手を国とは認めていなかった)で多大な犠牲を払いつつ、奴隷解放宣言、憲法修正第13条という政治的解決策を進めてアメリカ合衆国の再統合と奴隷制度の廃止を実現した直後に暗殺されるまでを描いた評伝の大作です。
きっと開戦前夜あたりから描くのだろうなとサムター要塞の攻防なんて調べていたのですが(これも奇妙な戦争の部類に入ると思う)、映画はいきなり黒人連隊の兵士たちと語るリンカーンのシーンからスタート。
「相手は黒人連隊の捕虜を取らない事が分かったので我々も捕虜は取らない事にしたのです」と語る黒人兵士。黒人連隊の投入はわりと遅かった筈だなと思って見ているとサムター砦の砲撃戦での開戦から既に3年程度経過している事が見えてくる。
映画が掬いとったのは文庫版下巻の340ページ付近から最後まで、100ページ強。
1864年1月から終戦、そして暗殺まで。これが2時間30分、終始緊張を強いる映画になるのだから凄い。
リンカーン大統領の駄法螺話は原作本でもいくつか引用されていて、盟友とも言える閣僚にすら嫌がられていたらしい話が出てくる。
またメアリー・トッド・リンカーン大統領夫人がホワイトハウスでの晩餐会で議員に対してホワイトハウスの予算流用を巡る嫌味の応酬をやるシーン(多分これ自体はフィクション)がありますが、これも実際にあった話で予算補填をどうするか結局大統領は動かず、夫人に同情した官僚が動いて対処したといったエピソードが原作本に出てくる。
長男のロバート・トッド・リンカーンは巡回裁判所の弁護士で始終不在にしていた父親とは不仲。メアリーやロバートの描き方は手加減がないので知らないと違和感を感じられる人も出てきそうなレベル。
シワード国務長官が多数派工作に使ったロビイストも原型があったようでWilliam N. BilboはWikipedia英語版に記述が出ています。
またTaddeus Stevens 下院議員はトミー・リー・ジョーンズが快演。この役、てっきりこの映画の創作かと思ったら共和党急進派、ペンシルヴェニア州選出の下院議員で実在の人でした。最後の二つ折りにされた憲法修正第13条原文の話自体はフィクションだと思いますが、あのシーンに出てくる人自体は実在(!)。あのシーンのような関係だったかどうかは定かではないようですが、ともかく史実を元に物語る姿勢が徹底されているのは確か。
※Wikipedia(en)の第38期合衆国議会のページは大変役立ちます。(修正第13条の発議の議決をした際の議員たちが確認出来る。ケンタッキー州選出のGeoge H. Yeaman下院議員(任期終了後駐デンマーク大使)もそっくりでした。
戦闘を描かずに戦争の悲惨さを描く
実戦シーンは冒頭の白兵戦のみ。肉弾戦。銃で、手で殴り、銃剣を突き刺す。
「プライベート・ライアン」が迫真の戦闘シーン再現に重点がおかれた事は知られていますが、あまりにリアリティがあり過ぎた事の反省があったようで、直接的な描写は最小限に止めて、間接的な描写に重点を置いている。
例えばリンカーンの長男ロバートが父に従って病院慰問に向かうシーン。目の前を一台の手押し車が押されて行く。何が載っているかはカバーがかけられていて分からないが、何かが滴り落ちている。その後を追って行くロバート。
例えば終戦直前の決戦の地。霧に包まれた戦場跡。到る所に両軍兵士の骸が横たわる荒れ野を行くリンカーン大統領と護衛兵たちの馬。
それでも人間はこんな事も出来てしまうのだという事が伝わってくる。
語られなかったエピソード
シワード国務長官はリンカーン大統領暗殺事件の際に同時に襲撃されて負傷。原作では医師が重傷の国務長官を慮って情報を伏せさせた所「大統領は死んだな」と呟かせる。そして「私が怪我をして彼が来ない訳がない。」「窓から見える国旗が半旗だ。彼は亡くなったのだな」と推理してしまう。このシーンは見たかった。
大統領暗殺シーン自体も割愛されています。代わりにリンカーンの末の息子のタッドがアラジンの劇を見ているシーンで劇が中断されて「大統領が撃たれた」と劇場側が叫ぶ。そしてリンカーンの臨終からリンカーンの演説へと繋ぐシークエンス。
これによりリンカーンが死んだのではなく人々の記憶に残る人に変わった事を示唆しているように見える。
彼の手は未だアメリカ合衆国に影響を与えている。例えば憲法修正第13条の州批准。成立要件としては連邦上院・下院の定足数の三分の二の賛成とその時の州議会の四分の三の批准を以て成立する。修正第13条の場合、1865年に下院通過して各州議会の批准数が四分の三を越えるのを待ち成立した訳ですが、その後も批准が続き……最後の批准が1995年のミシシッピー州でした。そのミシシッピー州も批准後、連邦政府への届出を忘れていて今回の映画をきっかけに届け出たとか。※リンカーンの為した事は未だ影響を与え続けている好例と得るかも知れない。
※この件は日本版ニューズウィークのコラムで出てきます。
リンカーン大統領自身はもともとアフリカ系アメリカ人という概念を持っていなかった人です。奴隷制は否定していてもアメリカを故郷と思うアフリカ系アメリカ人がいるとは思っていなかった人でした。
大統領に当選後、戦争が始まり徐々に考えを変えて奴隷解放宣言、そして修正第13条へと深化していく。
このあたりはドリス・カーンズ・グッドウィン女史の「リンカーン」に詳しいところですので是非お読みになる事をお勧めします。大統領選まではリンカーンと争った共和党大統領候補者たちと奴隷制度にまつわる物語が描かれますが、大統領当選から内戦、大統領就任後の動きはリンカーン大統領の日誌的に描かれて行きます。その過程はリンカーン大統領が何故奴隷解放宣言、そして修正第13条に到るのか。また南部連合を国として認めず中途半端な「和平」を拒否して、再統合にこだわったのか見えてくると思います。
アメリカを知る手段としてお勧めの一作。そしてスピルバーグ監督の最高傑作ではないかと思います。