2013年4月13日土曜日

[映画] アンナ・カレーニナ

ロシア文学の傑作の何回目かの映画化。今年はクロスオーバー手法の当たり年らしい。
ネタバレあります。

ミュージカルの映画化で手法的にもクロスオーバーさせ評判をとったのが「レ・ミゼラブル」。本作は演劇手法をクロスオーバーさせており「アンナ・カレーニナ」の何回目かの映画化としては違った切り口で映画のリアリズムについて挑戦している。

物語のオープニングは本作が戯曲的な演出で進めますよという合図になっていて、大変違和感があるスタート。状況が分かり辛いんですよね。これ、大丈夫かと思ったら全くの杞憂。
映画表現として普通にロケで撮影したシーン(農場等)と舞台の屋根裏に過ぎないはずの空間が駅のプラットホームに見えてくるのは、計算された演出の妙。
周囲の群像が静止した状態で手に持った煙草からだけ煙が立ち上り、その中をアンナが彷徨するといった手法を入れる事で群像の中からアンナだけが浮かび上がるといった先鋭的な手法は舞台の屋根裏というシチュエーションと大変マッチ。
同じ手法が冒頭の舞踏会シーンでも使われていましたが、こちらはアンナが動いて行くと他の踊り手たちも動き始めるといった手法が使われていて、これも決まっていた。

物語自体は古いものです。後世の小説や映画に影響を与えている作品の一つと言って良いでしょう。私自身、原作の物語は知らずに見ていますが話の行方が見えているにも関わらずアンナの墜ちて行く有様の描き込み、人間描写は素晴らしいものがあったと思った。
今年のアカデミー賞レース、物語るという事について重視されたようで本作は衣装部門のみの受賞でした。作品賞、監督賞レースに入っていないのはちょっと惜しい気がした。
この文章を書きながらもう一度見たいなと思った。お勧めです。

追記:
(1)字幕について
作中言語は英語なのは特段よいのですが(単語分かる所もありますし)、映画で父称まで入れて呼びかけるシーンがありますが、これは字幕では反映されず。ロシアではドミトリー・ドミトリエフ(from Dmitri Shostakovich)といった父称を添えて呼びかけるのは敬称としての表現なので、単なるカットや愛称への置き換えは不適当かなと思うのですが今時の大サイズフォント字幕では無理なのかもしれません。ロシア文化への敬意という観点では残念な措置でした。

(2)「lieutenantとしてどうなの?」
「ルテナント(士官)としてどうなの?」が「軍人としてどうなのか」と訳されていた。階級社会での士官と下士官以下の処遇の違いを考えるとこれも「士官として」の方が妥当か。社会背景の再現、映画製作陣はよく理解している事が分かるところでもあります。