市井の人々の普通の物語が普通でなくなるプロセスを描いた映画、でしょうか。
市川海老蔵が若い頃の主人公を本人年齢相当で、老いてからは完全に役になりきって演じ切ったのを見られたのが良かった。
3幕構成で考えると、主人公が井伊家上屋敷を訪問してある若い浪人が軒先で切腹させて欲しいと名乗り出るシーンの回想と、主人公と娘、そして亡くなった元上役の息子が浪人となって江戸で苦労しながらも小さな幸せを見つけようとする2幕。そして最後の第3幕になる構成。
1幕目はあっという間に話が進む。3幕目は予告や宣伝でおおよそ想像はできる訳なので、どこに時間を費やすのかと思ってみていたらそれは2幕目でした。
2幕目は広島福島藩の取り潰し、主人公の上司の死と息子の引き取り、江戸での貧しい浪人暮らしと話が少しずつ進み、上司の息子と主人公の娘が結婚、孫が産まれて小さな幸せを掴めたと思った所で暗転して行くという構成。
この部分が丁寧に描かれた事でこの後の破局の重みが増しています。
単に追い払わずに一罰百戒の目に遭わせようと浪人を死に追いやった井伊藩の家臣達。小さな幸せを守ろうとして「武士に二言はない」に囚われて死に追いやられた浪人。
3幕目で主人公は「武士」に対して別の価値観を叫び、身を以て示そうとする。
なんとも言えない後味の悪さ。組織対個人。身分が求める面子、プライド。組織のごまかし。
三池監督の作品は「ゼブラーマン2」「13人の刺客」と見ています。時代劇としては2本目ですが、作品としては俳優の能力を引き出した「一命」の方が好ましいです。
3D版で見た訳ですが、今の技術だと3Dで見ても高くついて損という印象が改めて強まりました。風景などでの位置の距離感はうまく表現される訳ですが、物体の立体感にはつながらない。平面にテクスチャーが貼付けられた感じがあり、人が立体的に見える訳ではないというあたり、今の3D技術の限界ですね。
あと2D版も上映されている訳ですが、私が見たシネコンは2D版の方が上映回数が多くなっています。時代劇だからだと思いますが、必ずしも見る側には支持されていないのはどうなのかなと。
3D映画は3D映画としての表現、演出が成立しないと必然性はないと思っていますが、今の3D技術はそういった新しい表現wお産み出すには到っていません。過去の3Dブームと違って見られるようになって来ているのは確かですが、この点がクリアされないと過去の映画から新しい表現の段階に入ったとは言えないでしょう。
(この点はやはりキャメロン監督の3D次回作待ちですかねぇ。。。)