2017年2月22日水曜日

非日常化する世界を生き抜いた人の日記 映画・漫画「この世界の片隅に」論

注意:本稿は「この世界の片隅に」で展開される物語の核心部について感想/批評を試みたものです。主に映画を題材にしていますが、一部原作について言及しています。(その場合は「原作」言及と表記)
以下、ネタバレがあります。
映画を見て、原作も読まれた方のみ推奨)

関連リンク)
 「この世界の片隅に」用語メモ 映画内で出てくる用語関係についてまとめてます。
 「この世界の片隅に」での徴兵と志願兵 徴兵制について解説しています。




























1.「この世界」の構造

(1)意外に狭い舞台

   「この世界」の物語は広島市江波、草津と呉市で物語が展開される。
婚礼の日、北條家に着いた際にすずさんの母キセノは灰が峰の山麓の中の北條家を評して(呉の)隅っこにあると言った。これは何気に「この世界」の本質を突いた言葉となっている。
 この物語はこの家の嫁として入ったヒロインのすすさんの眼を通して太平洋戦争末期の呉の日々を追体験させる作品である。世界の片隅から見た世界を描いているとも言える。また北條家の人達にスポットライトを当てて彼らを通して世界を見ている作品でもある。

(2)サンさんの一言「平和のための軍縮」から見た世界

   基本、市井の人達から見た戦時中の呉、そして広島を描いた作品ですが、ふとした描写、台詞から太平洋戦争と日本を巡る様々な事柄と結び付いている。
 例えば昭和19年3月のサンさんが「平和のための軍縮」で円太郎が解雇された話をすずさんに聞かせている。これは1930年ロンドン海軍軍縮条約の事を指している。
 この時は海軍内で米英との巡洋艦比率をめぐって艦隊派と条約派に別れて暗闘が繰り広げられたが最終的には首相判断で条約締結にいたった。その際に天皇が憲法で有するとされる軍の統帥権について政治が介入したと問題視した統帥権干犯問題が勃発。政争の具とされつつ、結果として軍部の政治力が強まった。また次の海軍軍縮条約予備交渉で日本は米英同率を主張して通らないとみると交渉を打ち切って海軍休日終焉の引き金を引いた。
 太平洋戦争はいくつかの要因があって日本側の対応が支離滅裂で米英から交渉の余地を奪ってしまった事が大きく影響しているが、この軍縮条約を巡るドタバタは統帥権が政治に従属はしてないという主張に一定の力を与えてしまい、その後一度はなくなった陸海軍大臣の現役武官制の復活(軍による倒閣を可能としてしまった)が為された事で政治側の軍部に対する優位性が失われ、戦争へのハードルが下がった。
サンさんの一言からこのような事まで見えてくる奥行きの深い作品となっている。

(3)作中の視点

   原作はすずさんの目線で時に想像力の世界が混ざりながら語られる。決してすずさんの視点のみに拘泥されておらず北條家と海軍工廠の歴史は年表と組織図と絵で物語られていたり、径子さんの視点で始まる回があったりと形式に拘らない表現の試みも多く行なっている。(ペンだけではなく筆も使用。更に口紅で描いた回もあった)
 映画でも踏襲されたが防空壕はあり得ない俯瞰視点=神視点で描かれたコマがある。呉市美術館企画展ではその事をこうのさんが触れていて分かってやられている事を明かされている。
 映画は形式に拘らない表現は他に置き換えられるか割愛されていて基本的にはすずさんの視点を主に描かれている。(稀にすずさんの見た人達の視点や呉港の様子が入る事がある程度)
 原作ではすずさんがみぎてを失った後、左手で背景を描いてぎこちなさを作品に埋め込んでいる。映画ではこれは再現されなかったがすずさんがみぎてでやって来た事を内心で振り返った時、その背景はすずさんの心の荒れ方を反映した殴り塗ったかのような歪んだ絵に変化していた。
 原作が打ってきた布石に対して映画はどう誠実にこれと同じ、または上回る表現にするのかという良い意味での競争意識があると思う。

(4)演出・表現

   原作は月2回8ページ連載で平成を昭和に読み替えてシンクロして連載されていた。この為、大半の期間が年月のみのサブタイトルが付されている。
 映画は独自の表現としてちょっとした仕掛けを盛り込んでいる。例えば昭和20年5月から年月テロップに日付と曜日が出るようになるのですが最初は「5月1日 月よう日」と出ていたのが途中で「5月8日 月よう」となり5月15日朝は「5月15日」と曜日抜きのテロップに変わった。これは10月の進駐軍の呉上陸の日まで続く事になる。

 制服考証を強化して演出に用いたのも映画独自の工夫になっている。哲はすずさんと会う度に階級章の線がふえていて最後は善行章も付与されている。周作は当初海軍文官の制服で勤務。昭和20年5月15日の転官で軍服を着ることになり階級章をすずさんに付けてもらっている。(空襲が始まり制服の不穏さに反して縫い物をしているすずさんの側で本を読む周作というあの時期一番幸せそうな光景が描かれている)
 また艦内帽は線の本数で士官、下士官、兵の区別が出来るのでその人の立場の推測材料になる。周作とすずさんのデートの日、下士官集会所前の番兵小屋にいた軍港衛兵の水兵も設定資料を見ると善行章1本持ちの上等水兵で年齢は少し高めという指定がされていた。彼が年齢高めな理由は善行章で分かる。そういう理屈をきちんと再現している。

 キャラクターデザインも重要な表現手段となっている。本作では原作の登場人物がそのままで3次元の世界で動いているように見える事がすごい。
 漫画も映画も二次元の表現である事には違いはない。ただ漫画はコマで割って見せていくという手法が基本で基本止まった絵から動きを想像させるものとなる。
 映画はその止まった絵を見事に動かして見せている。一つは影のつけ方の上手さ。これによって二次元のキャラクターに立体感を与えている。そして背景での奥行き表現を行っている事も特徴に挙げられる。(「君の名は。」「聲の形」はカメラの絞り表現を徹底的に入れてきて、それにより距離感や心象表現を行っている。「君の名は。」は加えて外の風景は少しでも距離があれば空気の揺らぎフィルターも施されている)
 本作では基本一枚の背景絵を紙に描いてスキャンしたものと動画と組み合わせる方式で作り込まれている。三次元立体造形を意識した度合いが高い作品だとピント・ボケ味を利用した距離感表現はうまくあてはまる。本作のような漫画のキャラクターをまるでそのまま動かしたように見せようとしている作品では過剰な表現となって合わない。キャラクターに合った背景美術を組み合わせた事が本作の成功理由の一つに挙げていいと思う。

(5)物語世界層

    本作の世界は以下の3つの層から成っている。史実層は明治、大正、昭和と連綿と続いて来た明治維新後の日本と台湾や朝鮮半島などの植民地や満州国、中国や米英などの諸外国があった上で米英中を敵に回しての太平洋戦争を引き起こしている。
 登場人物たちの世界層は多分にシンボリックである。後で触れるが北條家の中で起きる出来事を中心に描いており、そのためにこの家族の中で様々な要素が織り込まれている。嫌な人がいないという批判も聞くが、その家族内では径子さんがすずさんに厳しく当たるといった対立が持ち込まれていて、この二人の関係がどう変化していくかは本作で重要な物語の軸の一つとなっている。
 想像力の世界層の代表的な存在といえばやはりすずさんのみぎてだろう。原作だと絵を描き、手紙を書く。そして背中をもう掻いてやれないと茶化してみせる。すずさんのみぎてが大型爆弾の爆発で粉微塵となった後、一個の人格を持った存在になったようにも見える。そして、そんなみぎては昭和21年1月の相生橋に姿を見せ、歌を歌い、その後はよく分からない引力を働かせてすずさん、周作と径子さんとあの子を結びつけた。そんな風に役割を果たしたようにも見える。
  • 史実層
  • 登場人物たちの世界層(フィクション)
  • カイブツやみぎて、テルちゃんの紅に代表される目に見えない想像力の世界層

2.「この世界の片隅に」と史実

(1)幼少期

   昭和8年12月、皇太子誕生の直前の中島本町。まだ戦争の影が感じられなかった時代。クリスマス商戦はもうやっていたし、黒のマスクが流行っていたそうで何人かマスクを付けている人が歩いている。戦前の日常を一番体感できる。そして失われた町の光景でもある。(中島本町は相生橋の南側にある中州の町で原爆の爆心地だったため、たまたまビルの地下室におられたお一人を除いてその日いた人々は亡くなられている)

 昭和10年8月。子ども達だけで潮の引いた河口を渡り草津へ。家族揃っての平和な団らんが描かれたパートでもあり、二回だけ出てくる浦野家の夕食光景の一回を見られる。

 昭和13年2月。水原哲との関わりが描かれる。結果としてこれが哲が行く道の方向性の背中を押したのではないか。
 この時期、既に中国大陸での戦争が色々と影響していたはずですが、市民生活には大きな影響はなかったようには見える。

 昭和16年12月。開戦。すずさんとすみちゃんは街頭で銃弾避けの千人針を縫っていて戦争の影が強くなり始める。

 昭和18年4月。ついに鬼いちゃんの要一が入営。すずさんは兄の武勲か無事を祈ってか漫画を書いている。

 昭和18年12月。北條家からすずさんに縁談が持ち込まれる。嫁になる事で大人になる。すずさんはそういう認識で呉に嫁に行く事になった。

(2)昭和19年 忍び寄る戦争

   昭和19年2月。すずさんは家族と共に急行に乗って呉へと降り立った。そして木炭バスで辰川バス停に向かったものの坂を登れず歩いて北條家に向かう事になる。
 両家の両親は祝膳のための食糧をかき集め海苔巻きや野菜の煮物、貝のお吸い物、お酒など揃える事ができた。このようなご馳走は全てこの時限りとなった。
 国鉄の急行列車は程なく決戦非常措置に基づきその多くが廃止された。切符販売の制限もあり呉〜広島間は敗戦後も激しい満員の客車で移動を強いられることになった。座ってのどかにみかんを食べながら呉に行くという日常はこれが最初で最後だった。
 里帰りではすみちゃんは未婚女性の勤労動員である女子挺身隊員として工場勤めに行くようになった。
 日常の食事。米の配給が減り、サツマイモなどの混ぜご飯やお粥が常態化した。小さな鰯の干物四匹が家族四人の一日分のお菜として配給で販売されるような日もやって来た。そんな食卓は配給がさらに滞って醤油も味噌もなくなり、塩すら事欠く状況へと陥っていく。
 日本の大量物流は船と鉄道に依存している。前者は米軍のB-29が昭和20年3月末から飢餓作戦と称して1万2千個もの機雷を日本や朝鮮の瀬戸内海や港湾に投下。海運が破綻した。また鉄道に対しては空襲や水上艦部隊による艦砲射撃の攻撃対象となった。戦前から朝鮮半島、台湾から日本へ米などの輸入が行われてきたが、飢餓作戦が起きてからは円滑な輸送はほぼ不可能となり、一説では朝鮮半島の沖合から樽やゴム袋に食糧を詰めて海流に載せて日本へ送り込む緊急輸送まで行ったという話も残されている。北條家の食卓から辿っていくとそんな日本の状態が見えてくる。

(3)昭和20年3月〜8月15日 ついにやってきた戦争

   半年ほど前には「どこに戦争が来ているのか?」といった事をすずさんは思った事があったが、昭和20年3月以降呉は頻繁に空襲に襲われるようになる。連合軍側は沖縄戦の救援艦隊を阻止する事が目的だったようでB-29の航空機雷が呉港にも投下され、大和が呉に戻れなくなった。
 空母艦載機による空襲、B-29による空襲(実際にはB-24なども沖縄から飛来していた)が激しくなり、呉市街地は焼夷弾による火災で焼失。北條家の人達からも犠牲者が出てしまう。
 7月末には呉周辺の海軍艦艇に止めをさすべく艦載機による空襲が実行され、大型艦の大半が大破着底、横転沈没という最期を迎えた。
 玉音放送。径子さんのように戦火で晴美ちゃんを亡くした事(それこそラジオ放送の「非命に倒れ」だろう)を戦争だからと耐えてきたのにという人もいれば、やっと戦争が終わったという人まで作中では描かれている。
 当時の日記を読むと何故か泣いたと書いている人たちがいる。戦争に与した人もいれば、戦争は国がやっている事だとして消極的に規則など守っているだけの人までいろいろな人がいた事がわかる。

(4)昭和20年、昭和21年 日常への回帰の始まり

   食糧難はまだまだ続く。そんな中で原作では広島市草津からの葉書ですみちゃんの無事を知る。台風で家が損傷したりもしているが、映画では家の損傷が増え、庭に植えられていた木が倒された事でそのような事があったという間接的な描写に留めて物語は戦後へと入っていく。進駐軍が呉市内にも姿を見せていて、進駐軍の残飯雑炊が市場で売られていたりする。
 昭和21年1月。事の起こりの相生橋で昭和8年から続いてきた物語の円環は一部を除いてここで一度閉じられて、新しい物語が始まる。
相生橋(2017年1月)
   戦災孤児のあの子は原子爆弾の爆発以前に既に出征していた父親を失っていた事が描写されている。日本の戦災孤児対策は犯罪防止観点での収容という程度でGHQが介入して児童福祉法(1947年)が作られて改善された。親がいない子どもに対して過酷な世界で5ヶ月近くあの子は生き延びてきた事になる。そんなあの子がすずさんと周作と出会う。(あの子の名前は絵コンテ集、ノベライズ小説に載っています。原作も映画も本編中で触れられれた事がないので本稿では「あの子」で統一表記します)


3.北條家と浦野家

(1)すずさんと北條家の結びつき

   すずさんと北條家の結びつきは決して解き明かされない謎として提示されている。昭和8年12月。皇太子誕生の直前に兄の代わりに中島本町の「ふたば」まで海苔を納めに行ったすずさんが周作と出会った事で呉の片隅がすずさんと結び付いた。その様子は妹のすみちゃんはすずさんの描いた漫画で読んでいて知っているが、おそらくすすさんの空想の産物だと思っているはず。
 もう一方の当事者である周作はこの日の記憶があってのちに縁談の申し入れにつながっているのに、彼はすずさんの黒子で見つけられるからとしか言わない。この日の事を語れるのは二人の他にはカイブツその人しかいない。

(2)北條家の嫁として

   すずさんは呉に嫁に行く事で大人となると自覚していた。これは縁談の話があって急遽草津から江波に戻る時におそらく結婚する事になるのだろうという予感と共に内心で語られている。
 呉での嫁としての仕事の一つは足の不自由な姑の代わりに主婦となる事だった。その事は予め分かっていたようで婚礼の翌朝5時前には起きて朝の水汲みと炊事を始めている。(昭和20年右手を失ったすずさんを見舞いに来たすみちゃんの台詞からも舅・姑のいる家に入る事が家事労働を担わされるものだという事は二人の間で常識として捉えられていた)
 映画では描かれなかったが、すずさん自身は跡取りを産むことも課せられた役割だと考えていた。意外に北條家の人達はその事への執着はしていない。もしおめでたなら栄養をとらせないとという配慮があった程度の描かれ方となっていて、すずさん自身が常識的な義務、思い込みで自分にそのように課していただけの節がある。
 この事があった故に原作ではリンさんとの「居場所」を巡る対話が描かれていて、映画ではそのエピソード自体は描かれないものの存在については触れている。この時のリンさんの考えは自身の母親が貧乏人の子沢山で子どもを産む度に体が弱っていったのを目の当たりにしていて、嫁として子どもを産む事がだけがすずさんの居場所を確保する事になるのか、それはおかしくないのかと問いかけている。そして少なくとも北條家においてはこの考えは間違いではなかった事が証明される。

(3)北條家の人々

   北條家は矛盾に満ちた家風を持っている。すずさんに家事労働をしてもらう事は当然の役割と見ている。でも進歩的な家風であり渾然一体としている。

a.サンさん

   義母のサンさんは大らかな人で「ありこさん」事件での水没事案で怒るような事はなくヤミ市場で買ってきなさいとすずさんを送り出している。(この件は径子さんにも内緒だったはず)
 日中は編み物、精米作業、ジャガイモの芽を摘む作業など行なっていてすずさんが負傷した時は看病にも当たっていてやるべき事、出来る事はやっている。
 晴美ちゃんが亡くなった時は責めずに慰め、径子も動転しているだけだからと取りなしている。そしてすずさんが広島に帰ると言った時は引き止めなかったものの残念がってもいて可愛がってもいたことが分かる。
  北條家の中で一番沈着冷静な人。この事が北條家での非日常が終わりを告げた時、揺るぎない言葉で娘たちを落ち着かせていく。

b.円太郎

   義父の円太郎は技術者らしく何もかも説明したい気質の人。原作だと家族から話が長いからと困った所のあるお父さん扱いされている。すずさんはとりあえず聞いてくれるからか、重要な情報も説明して聞かせている。
 家長としての円太郎は息子を少なくとも旧制中学まで進ませて、その結果か徴兵のない海軍録事となる道を歩ませている。また長女には自由恋愛の末に徴兵検査で乙種にも入らなかったであろう時計店若旦那との結婚を許している。本を手放さない知識人(枕元にはだいたい文庫本がある)であり従順に従うだけの人ではない事が見えてくるし、だから敗戦の日の夜、灯火管制終了を告げられていないのに平然と法律を破ってみせた。(東京では正式な灯火管制終了は24日の事だったと日記に書き残した人がいた)

c.径子さん

   その長女の径子は結婚前はモガとして鳴らし、結婚後は良妻賢母として夫と共に家業を盛り立て一男一女の母になっている。黒村の家では良妻賢母といって良かったはずだし、その事の自負がすずさんをなかなか受け入れられなかった要因になっていたように見える。ある意味一番保守と革新を体現した人かも知れない。なお円太郎、周作いわくご飯を焦がす人という欠点がある。
  すずさんにとってはクドクドとお説教のうるさい人に見えていた事も多かったはず。特に離婚して帰ろうという日にお説教めいた言葉を散々言われていて、もう終わりなのにまだ言われるのかという感じですずさんは聞いていたようにも見えた。
 そんな二人が戦後は義姉にも大らかさを隠さないすずさん、それを見て別に普通に接している径子さんという姉妹関係に変化していた。周作との関係より強い所があるかもしれない。

d.周作

   周作は理想主義者なのだと思う。リンさんとの出来事、そしてその事から北條家の一大騒動となり、その中でおそらく10年前、昭和8年の出来事を思い出し「浦野すず」の名前を出してしまい、おそらくは円太郎が広島市江波の浦野家を突き止めて縁談を持ち込んだように思われる。
 一族の意向で自分の意思を貫徹できなかった。そんな彼が昭和19年秋の小春橋で「選ばなかった夢」について触れていて、リンさんと周作の間で何かあった事をすずさんが悟った時、どう思っただろうかと気になった。全貌がある程度見えてしまうと、周作のいう「選ばなかった夢」というのは少々彼にとって都合の良すぎる解釈に見える。原作はその点はかなりえぐっていて「代用品」という言葉をすずさんに言わせている。
 でも彼のすずさんを想う気持ちは本物だった。艦載機の機銃掃射の真っ只中にいたすずさんを救おうと必死で駆けた。弾が飛び跳ねている中を飛び込んでいき、すずさんを水路に押し込んで間一髪のところで救った。
 彼にもすずさんの言動から思う事はあったのだろう。「いつまでも他所の家のつもりなのか」(だったか。少し違うかもしれない)という形で彼がすずさんを愛している事を改めて伝えている。
 思えば哲との時間を与えた時の態度はすずさんのひょっとしたら初恋の相手との一夜の時間を与える事が彼女を呉に連れてきてしまった事への贖罪になると思ったのかもしれない。(少なくともすずさんにはそう受け取られた。で、後日すずさんにこっぴどく怒られる訳ですが。なおこの部分の片渕監督の解釈は漫画アクション2017年2月21日号の町山氏との対談記事で解説をされています)
 彼は女性にたいしてきちんと一人の人として接しようとしている。だから4歳年下の妻のすずさんを呼び捨てにする事がない。ただ自分の決めた事をまだまだ押し通すだけの力がなく、時に勘違いの対応や言動もしている。そんな彼が二人の女性を再び出会わせ、悩ませる事になったのだろうと思う。

(4)北條家と浦野家の食卓にみる家長制

   そんな北條家の食卓は家長の収入で生計が成り立っている家の為か古風な所がある。すずさんの嫁入り直後、食糧はまだ潤沢だった時には舅・姑、長男に一品多くお菜を用意していたりする。このような配慮も食糧・塩・砂糖・醤油類の配給量削減、消滅に伴いすぐなくなっていった。
 浦野家は海苔養殖が家業で一家総出で働いていた為か家長や長男にお菜が多いような事はなくみんなで重箱や鍋の貝を取り分けている。海苔養殖を止めてからは十郎も工場に勤めていたはずだが家風は変わらなかったらしい。この辺りに北條家と浦野家の違いが見えている。

3.すずさんと関わりのある人たち

(1)水原哲

   すずさんと呉の結びつきから外れた存在、本来は江波と結びつけているはずの存在が同級生の水原哲だったのではないか。二人は少し意識していた事もあった。でも、すずさんが本気になって絵を描いた事で彼は海を嫌いになれず、あまつさえ海軍へ志願して水兵から下士官への道を順調に歩んでいる。(すずさんとは入隊後3回会っているが上等水兵→兵長→二等兵曹と毎回昇進していた)
 二人が結ばれる機会があったとすれば昭和18年12月の縁談申し入れの日の邂逅の時しかなかったはず。あの日、彼は意思を告げなかったばかりに何を失ったのか1年後に知る事になる。

 青葉の帰国後、北條家を訪れた哲が周作と二人で話をしていた際、哲はフィリピンでの戦闘を思い起こしている。その際、艦内帽が海面に浮かんでいてひょっとして哲のものか?と思わせるような描写になっていたが、あの帽子は一本ストライプが入った下士官クラスのもの。哲はまだこの時点では兵長だったので彼の持ち物ではないので、彼が戦死していたといった事はなかった。(絵コンテ集では「誰のものともしれない」と注釈が入っていた)

(2)リンさん

   映画ではリンさんは座敷童子の人ではないかとすずさんが思っている事まで描かれていてもう一つのつながりは本編では直接は描かれていない。周作とも関わりがある人だったが映画ではその事はあまり触れられていない。周作のノートの裏表紙、周作の机に活けられたリンドウの花から察せられるのみとなった。
 クラウドファウンディングのエンドロールでテルさんの紅で描かれるリンさんの物語の中でノートの裏表紙の切れ端に書かれたリンさんの氏名と住所とそれを見たすずさんが全てを察してしまい、あわてて家に帰っていくシーンが入っている事で何があったのか観客にも疑問を抱かせる仕組みをとられている。
(あの紅のエンドロールには径子とキンヤのカップルの他におそらく周作であろう人物も描かれているように筆者には見える)
 周作との出会いは中島本町の納品先(「ふたば」)が分からず道に迷った事がきっかけだった。そしてリンさんとの再会も「スイカ……キャラメル……迷子?大人なのに?」とやはり道に迷った事がきっかけとなった。(そのリンさんが働いていたのは朝日遊郭の「二葉館」)
 大事な友人にして夫を取られたくない相手という複雑な関係。今回予算と尺の関係で本編での描写が出来なかった登場人物となった。興収20億円突破の勢いで是非完全版ですずさんに救われたテルちゃんと共に完全映像化して欲しい。

(3)テルちゃん

   昭和20年雪の日にすずさんと格子窓越しに出会った女性。現時点では「テルちゃんの紅」という形でしか映画では盛り込まれていない。
 好きなのかさだかでない客の水兵の頼みで川に飛び込み心中未遂。その事が原因で風邪をひいて熱を出して寝込んでいた。この戦況の最中に暖かな土地が良かったと言う。そんな彼女のためにすずさんは暖かな南方の海岸を雪の上に描いて見せた。たったこれだけの事だった。
 4月桜の木の下でリンさんと出会う。その時、彼女からテルちゃんの紅を貰う。ずっとすずさんの絵を見て笑うとったよとリンさんは言う。
 リンさんとは異なった立場で出てきたキャラクター。リンさんが生の人だとすれば、テルちゃんは諦念に包まれた人に見える。すずさんの絵はそんな彼女に寄り添っていた。それは彼女の救いになったのだと思う。

(4)刈谷さん

   すずさんが最初であった時、知多さんとよく喧嘩をしていた。でもそういう喧嘩は戦争が呉にも来た事でやっている余裕がなくなり、お互いをよく知る親友とでもいうべき関係になっていた。
 刈谷さんもまた戦争で失った者が多い人だった。夫が戦死、息子も失った事を知る。(原作では弟も戦死している事を知多さんが知っていた)
そして彼女が見た遺体が自分の息子だと分からなかった自分を責めている。それでも涙は塩分が勿体ないと戦後へ向けて立ち上がっていた。

4.すずさんと戦争

   すずさんが戦う決意を明確に見せたのはかなり遅い。きっかけはB-29の夜間焼夷弾空襲の夜、北條家に落ちてきた不発弾の消火があったと思う。その上で8月9日に伝単が投下されたものを見ながらすずさんは「そげな暴力に屈するもんかね」と決意した。
 その夜周作に北條家に残る話をした時に伝単を落とし紙にした事について聞かれて「使えるものはなんでも使っていくのがわたしらの戦いですから」と答えている。
 映画はこの次に8月15日玉音放送のシーンを持って来ていて、すずさんの戦争へ与するという決意は映画上だとほんの一瞬で瓦解する。

 昭和19年8月、ヤミ市に砂糖を買いに来たすずさんは米屋と客の会話で台湾米などが手に入った事を聞いている。米は戦前には朝鮮半島と台湾の安いコメが国内に流入していた。また国内生産高では足りないという構図もあって植民地での米作りが日本内地への輸出を前提に考えられていた事が分かる。
 ヤミ市ではスイカが売買されている所をすずさんは目撃し「作付け禁止のはずなのに」と言った。北條家の台所を径子さんと共に預かっているだけあって、配給では手に入ることのない作物について把握している事が分かる。
 米は配給制度で流通していて低価格であるものの家族構成に応じた量しか買えない。この事は径子さんが実家に帰ってきた時、晴美ちゃんの分も含めコメを持参している事でもよくわかる。ヤミ市を除けば自由にお米を手に入れる方法はなかった。泊まりに来る人がいたりすれば、コメを持って来てもらう必要があった。(哲の場合、缶詰2個ほどお土産に持ってきたようで卓袱台の上に置かれていた。映画では割愛されたが、原作ではすずさんに哲は自分の分のコメも持ってきていると伝えている)

 片渕監督のお話だと脱脂大豆が配給されていたという。油を搾り取った後の残りで本来は肥料用途だったもの。それが食用として米に混ぜて配給された。
(大豆油は駆逐艦の燃料として使われている)

 戦況の悪化と共に配給の内容の悪化、ヤミ市の高騰をすずさんは体感していたと思う。そういった所から海の向こうから来た大豆、米」への認識は持っていたのではないか。(ヤミ市は供給状況をリアルに反映していたと思うので特に)

 玉音放送の後、畑に一人立ち尽くしたすずさんは泣く。そして「私の体は海の向こうの大豆、米でできている」という事に気づき、連合軍の「暴力」と戦おうという決意はそもそも国がやって来た植民地支配や戦争そのものである事に気づいてしまった。

 個人の戦争責任は具体的な法律違反がなければ、本人の自覚次第だと思う。戦争犯罪を犯した人物でも自己正当化は出来る。そういう人は戦争責任を感じないだろう。また逆に少しでも積極的な関与を行ったと自覚がある人の中にはその事を後悔するという事もあっただろうと思う。具体的な違法行為がない倫理的、道義的な責任はその本人にしか分からない。
 すずさんに関して言えば、最後の最後、戦争に与する=暴力に与する事を決意してしまっていた。それまでどこかでそういう事は他の人のやる事だと思っていたんじゃないか。それが激化する空襲の中で最後の最後に心変わりしてしまった。玉音放送後の段々畑での号泣にはその事への悔いもあったんじゃないだろうか。

追記:「飛び去る正義」と「暴力」について
 玉音放送の後のすずさんの叫びについては上記でも触れていますが原作から変更が加えられています。「正義」の代わりに「海の向こうから来た大豆、米」とされた点については強い批判をされている方もいらっしゃいますし、目前で批判された方にもお目に掛かりました。映画の中ではあの日、戦争に負けたという事だけラジオで知らされており、理由として刈谷さんや堂本さんは「新型爆弾も落とされたし、ソ連も参戦したし」という反応をされていた。
 戦争において後世に評価の定まった事柄については何が「正義」で「不正義」か決めやすい。では玉音放送直後はどうか。この時はまだ戦争に負けたという事実しかない。軍人・軍属と民間人犠牲者数はまだまとまっていなかった。(昭和20年9月の国会での首相からの報告が第1号だったが軍人戦死者50万人とされており実際の210万人程度からみると非常に乖離した数字となった。なお岩手県出身兵士戦死者約3万人のうち9割近くは昭和19年以降に亡くなったという。(加藤陽子「とめられなかった戦争」より))
原作の「正義」や「暴力」は後で戦争を振り返った時に出てくる概念を用いている。絶対的正義なんてものはなく、相対的にしか定めようがない。映画はそういう曖昧さを排除するためにすずさんの目線であの日何を思っていたか見直しをされて「海の向こうから来た〜」となったのではないか。

5.すずさんの音楽

   音楽はコトリンゴさんが担当。すずさんの心象を表現した楽曲が作り込まれた。すずさんの心象ではない楽曲は限られている。それらについて取り上げてみた。

映画予告編(BGM「悲しくてやりきれない」)

  • 「神の御子も今宵しも」 昭和8年12月、皇太子誕生目前のクリスマス商戦で賑わう中島本町へ向かうすずさんの聞いたかもしれない音楽が奏でられた。
  • 「悲しくてやりきれない」 OP曲。この映画の企画が始まった頃にコトリンゴさんが片渕監督にカバーアルバムを送った事がきっかけで本編OPでも使われる事になった。予告編でも使われていてすずさんを待ち受ける苦難が終わった時の心象風景が歌われているような歌詞が響く中、音楽はそれだけではない優しさで包み込んでいる。
      OP曲はその作品が何を描くのか見せる事が多い。「君の名は。」は実際そういう「予告編」として出来ているが、本作の場合は実際の予告編でも本局が使われた上で、本編では大正屋の前の青空と白い雲、小鳥、タンポポが出てくるのみというシンプルな構成が取られた。ここでもう泣いたという人は多い。あの青空にこれから起きる戦争のある日常の悲喜劇がオーバーラップして見えるからではないか。そういう風に見えてくる。
  • 「引き潮の海を歩く子供たち」 江波から草津へ子供たちだけで引き潮の海を歩いて渡っていく。兄と妹への思いが曲に現れているのは何気にこの曲だけ。
  • 「すずさんと晴美さん」 珍しくすずさん自身も音楽光景に含まれた楽曲。晴美ちゃんが初めてすずさんに会った日の出来事が音で紡がれている。
  • 「戦艦大和」 当初戦艦だからとトランペットに主旋律を担当させるつもりでコトリンゴさんが作曲。監督からそれは違うと指摘があり、現在のピアノが主旋律を演奏する曲となった。大和が大きく出てくるシーンは何気にこの時しかない。周作から2700人も乗っていると教えられて洗濯や食事がと心配するすずさん。そしてその周りを舞うタンポポの綿毛。呉の誇りである大和。入港のため動き回る乗員たちの姿を見られたのはこれが最後。タンポポの綿毛は大和で亡くなった乗員の魂であり、この曲は彼らへの鎮魂にもなっている。
  • 「みぎてのうた」 原作最終回「しあわせの手紙」でみぎてが書いた手紙を再構成して歌としてコトリンゴさんが歌う中、相生橋、そしてあの子が原子爆弾爆発直前から体験して来た出来事を回想して見せつつ、広島駅前でのすずさんたちとの出会いとある偶然の符合から呉の灰ヶ峰の裾野の片隅の家に向かい入れられた。あの子がいる北條家を優しい星空と歌が寄り添う。
     「君の名は。」の「スパークル」といい歌も物語る中で映像も物語が展開されるという試みは表現しようとしている事を重層構造で表現する事でリッチな情報量を実現できる。この二作の成功で歌を物語展開の重要な手段とする手法は今後増えるだろう。
  • 「たんぽぽ」 スタッフロールの曲。背景ではすずさんとあの子、径子さんの三人と北條家の人たちの日常への回帰が描かれている。
  • 「すずさん」 クラウドファウンディングのエンドロールで語られるリンさんの物語。ここだけリンさんから見たすずさんを音楽で描かれている。このようにすずさんのことを想っている側の楽曲があるのはリンさんのみ。
「すずさんのありがとう」(BGM「たんぽぽ」)

6.観客がすずさんと一緒に体験する映画

   本作は追体験する作品だと思う。原作は年号を読み替えて掲載時期を合わせて時間を進めていくという手法で昭和19年2月から昭和21年1月までを描くという大胆な取り組みをなされている。多分に日記的ながら時に径子さんや北条家の人たちの過去の回想パートが含まれておりフォーマットを逸脱する事を恐れず北條家の直面した戦争を描いている。
 映画はすずさんの視点から見たものを描くというフォーマットはほとんどで徹底された。例外はB-29改造の写真偵察機F-13や呉海軍工廠の女子挺身隊員の退避だろうか。ただこれらはすずさんが目撃した人のその後を見せていて、逸脱するにしても最低限に止めている。このようなフォーマットの徹底で本作は原作よりも日記的な性格が強められた。
  また幼少期のすずさんをのんさんにそのまま演じさせた事は子どもらしい演技からは逸脱したものの日記を大人になったすずさんが読んでいるのか、または誰かに読み聞かせているような雰囲気を作る事に成功している。

 本作は救いの映画でもある。すずさんは甥の久夫に軍艦の絵を描いて送ろうとする事で役立てようとした。(笑い話になったこの事件、憲兵に見つかって良かったはず。もし郵便で送ってそれが見つかっていたら北條家、黒村家に憲兵や警察がやってきて大変な騒ぎになっていたとも考えられる。夫が下っ端録事と言われようとも逮捕や憲兵隊での尋問にならずに済んだ事は運が良かった)
すみちゃん、哲、晴美ちゃん、リンさん、テルちゃん。この五人はすずさんの絵に何かしら救われている。
 すみちゃんの場合、みぎてがすずさんの脳裏で描いた「鬼いちゃん」シリーズ最新作の義姉のワニのお嫁さんを二人で見ている。みぎてはすずさんの右手でなくなった後もこの姉妹の元には姿を見せ、兄の事を思う姉妹に寄り添っていた。
 物語の最後に北條家に引き取られる事になった戦災孤児のあの子はみぎてが目には見えない不思議な引力を発揮してあの子がどのようにして一人になってしまったのかを描き、そして広島駅前ですずさんと周作の二人と邂逅させている。その時、あの子は母親の最後の姿から、すずさんの右腕を見て自分の母親がここにいたと思い込んですがる。きっかけはあの子の単なる勘違い。それを二人は受け入れて自分たちの子どもとして育てる決意をして連れ帰った。(夫婦二人だけで下した初めての選択かも知れない)
 原作ではあの子は広島を象徴した存在となっている。だから映画では割愛されたすずさんの台詞があった。あの台詞は産業奨励館対岸の中島本町に立つと何故ああいう台詞が入ったか良く分かる。
産業奨励館(原爆ドーム。2017年1月)

 では何故連れ帰ったのか。それは北條家において径子さんとすずさんには誰か面倒を見る子どもが必要あったからではないか。径子さんは晴美ちゃんを失った事を忙しくする事で気を紛らわせていると言っている。その一方ですずさんが広島へ帰る直前、彼女の服装がダメだと手をつないでタンスの前に行き着替えさせている。晴美ちゃんを失った事で面倒をみる子どもがいなくなりバランスを欠いた反応をしていた。
 誰かの面倒を見る事でその穴は少しは埋められる。それはすずさんにとっても同様のはずで、あの子の存在が径子さんやすずさん、周作にとっての救いにもなる。決して一方的な救いではなく双方向の救いになっている。
 エンドロールですずさんがあの子に裁縫を教え(イトお婆ちゃんもあの光景を見たら、良き弟子とは言いかねたらしいすずさんに教えた甲斐があったと思ってくれる事だろう)、そして三人の晴れ着が出来て着飾るシーンが入っている。夫を病気で奪われ娘を戦火で失い息子とは生き別れになっている径子さん、父親が戦死していて、母親を原爆で失ったあの子、そして晴美ちゃんを目前で亡くしみぎてが消えてなくなったすずさん。あの着飾った三人が戦後日常に回帰していった姿を見るとやはり塩分がね……。
 本編の終わり方もいいのですが、三人が日常へと戻っていくシーンをエンドロールで見た事でより観客もよりホッとできる。片渕監督はすずさんの気持ちを考えてエンドロールのイラスト追加を決断されたそうですが、やはりすずさん=観客そのものという映画なのだと思う。だから観客が自由にその後を想像するにしてももう少しガイドが必要だったし、そのガイドをあのエンドロールは見事に行ってくれている。

  映画は特にそうだと思いますが、実在の人がその当時に書いた日記のような作品になっている。目線はあくまでその人の高さ。その人が感じた事、見た事、聞いた事が率直に書かれている。その中には楽しい事もあれば笑ってしまうような事もあり、そして辛い悲しい痛みを伴う記憶も封じ込められている。

 観客は映画館で本作を観る事でタイムスリップ、入れ替わりとも言えそうな体験をしている。説明的なセリフは廃されているので分からない事も出てくる。そういった事を調べて何が起きていたか、より掘り下げて理解していく事もできる。この作品はいろいろなところに枝が、根が伸びている。歴史ではなくその時あった感覚で追っていける、そんな手段も提供してくれていると思います。
 情報量が多い作品なので何回か見ないとつながりが見えて来にくい部分がある。でも逆にそういう咀嚼しきれない作品故に何回見ても飽きない。回数を重ねる事でより理解が深まり見えてなかった部分が見えてくる。そういう作品でもある。
 本作をきっかけによりあの時代の理解が深められている。開戦前の状況は混沌としていて分かりにくいのですが、少しずつ記憶のフックが出来て何が起きていたのか理解できた部分が増えてきた。人のやる事は何か選択するという事に関しては大きな変化はしてません。過去何があったか知る事は未来を探る手段でもある。本作はそういうきっかけに満ちている。

7. 「この世界」の謎

 世界は矛盾に満ちている。意図的なものもありそうです。

  • 昭和10年:呉の国防博覧会の開催時期は春。引き潮を渡っての草津の墓参りは8月。
  • 昭和19年2月:門デフ付きハチロクが大阪行き急行を牽引しているが史実なのか?(→山陽本線急行が乗り入れているという想定との事)
  • 昭和19年3月:径子さん「すずさん、広島へ帰り!」事件。その陰で進行した食卓の魚の切り身が2切れなのか、それとも3切れなのか事件。
  • 黒村時計店の改装前の風景で電柱にバツ印が3個ほど記されていたのは何故か?
  • 昭和20年6月:呉駅前、晴美さんランドセルの消失(→別稿で検討してみました