2014年10月21日火曜日

[映画] 「誰よりも狙われた男」

ル・カレ原作映画と言えば「裏切りのサーカス」が記憶に新しい所ですが、また一本新しい傑作が生まれた。こういう事あまり言うの好きではないのですが、今年No.1の傑作であり、Fワードの必然性、説得性を持った最高の作品だと思う。
(本文書は解説的感想になっています。強度のネタバレがありますのでご注意下さい)















「裏切りのサーカス」は冷戦時にソ連側のスパイに潜り込まれた英国諜報部が背景に書かれた作品であり、スマイリーが内部に巣食うモグラ(Cは容疑者をティンカー、テイラー、ソルジャー、プアマン、ベガマンというコードネームで呼んだ)をあぶり出し、諜報部(サーカス)のトップとして覚醒する様を描いている。
ソ連のスパイマスター「カーラ」との見えない攻防戦、チェスであり、犯人探し要素があるミステリーでもある。

これに対して「誰よりも狙われた男」は911以後の「対テロ戦争」という白と黒しかないとされる世界で再び大規模なテロ事件を起こさせない為の捜査活動を描いている。

警察捜査活動ではなく対テロ戦争という事の意味
やっている事はあくまで警察活動またはその延長上の活動のはずなのに、アメリカは「捜査」において自国の国内法に従う必要がない海外国に容疑者を強制移送する作戦を実施する。
「対テロ戦争」は法律に則った警察活動ではない。結果としてあらゆる手法による尋問が可能となるし釈放もされず放置される事につながった。

9.11、イラク戦争で重要な舞台となったドイツとトルコ人
「イラクはWMD施設を隠しているに違いない」という前提を支えるのに好都合だったから、「反証が出ても、無視する情報機関全体の集団思考が働いた」(報告書)例でもある。 (asahi.com 2004年7月11日記事より

本作の舞台がドイツというのも実際に起きたある出来事が影響しているように思える。
イラク戦争開戦時、イラクに大量破壊兵器があるとされた根拠は1998年頃にドイツに亡命して来たイラク人(コードネーム「カーブボール」)がBNDに対してそのような事を歌った事に端を発する。BNDはこの情報について未検証のままアメリカに渡した所、最終的にはパウエル国務長官がこの証言を根拠にイラクを非難演説を行い、イラク戦争の開戦理由になっていく。
カーブボールは尋問官の望む情報を歌う事で自らの処遇をよくしようとしたのか、それとも意図的に偽情報を掴ませたのか分かりませんが、結果としては悪魔の証明を求められたイラクが追い込まれ英米軍がイラク領侵攻して今日の混沌の引き金を引いてしまっている。

アルカイダ幹部の一部はドイツで大学修士号を取り活動基盤を置いていたとされていてドイツとの関係も深い。この点は映画冒頭のテロップで注釈が入った部分であり、本作がドイツを舞台にしている事の背景説明にもなっていたように見える。

ドイツは移民比率が高く、トルコ人の多さも言われている所で、イッサが助けを求めたトルコ人一家が登場する背景になっている。

映画におけるギュンター・バッハマン
協力者を転ばせる為には硬軟両方手練手管を使ってたらし込んでいる。
イッサの弁護士アナベル・リヒターを落とす際は怖い警官=ギュンター、優しい警官=イルナと使い分けて自分たちが何故こんな事を求めるのか事情理解をさせた上で作戦に引き込んだ。最初は誘拐、そしてセーフハウスの一つに監禁だったが協力者となった後は監禁はされる事がなくなっている。(モアの手が伸びるのを恐れて、イルナがアナベルにセーフハウスに泊まるようには言っている)

ギュンターはターゲットの息子も協力者に仕立てていて、父親の航空券など写真に撮らせて持ち出させている。この息子をどうやってリクルートしたかは描かれない。但しその事が何かに役立つ事だと説得していて、弱気になれば必要なのだと彼を抱きしめ、またその息子も黙って抱きしめられる。信頼関係がなければ、このような描写はなかっただろう。

ギュンターが描く作戦は小さな餌から始めて大物を食う事を狙っている。その際の小さな餌とは協力者であり、彼に取っては守るべき盟約を結んでいる相手だと考えている。
そんな彼が過去に海外作戦先で展開した協力網が壊滅するという憂き目にあって、今はハンブルク所在の表向き存在しないダーティーワーク専門部署の指揮官に左遷されている。
彼にとって失われた協力網は盟約を守れなかった心の傷になっている。
CIAベルリン支局からやってきた女スパイマスターであるマーサ・サリヴァンはこの事件についてギュンターから聞き出し、その原因がCIAにあった事を伝えて謝罪の意を伝える事でギュンターから信頼を得た。

ギュンターのターゲットについての研究も深い。講演会に聞きに行ったりもしており、どのような人物か知悉している。彼にとってはターゲットの人物もその先へと進む為の協力者候補であり、またそれ故に単純に黒だと断定しない。彼にとっては白の中に少し黒が混じる事は当たり前の事だし、逆にその少し黒である事が協力者の資格足りうるものだとして見ていたように思える。

酒に溺れているにも関わらず職務に忠実であり、協力者達を決して見捨てない。それがギュンター。フィリップ・シーモア・ホフマン扮するギュンターはタクシーの呼び出し前後に嬉々として車に乗り込んで一世一代の勝負をやろうとしたし、部下達もそれを支えるべく奮闘した。

だからギュンター、フィリップ・シーモア・ホフマンの慟哭に似た「F********ck」という心からの叫びは心に響く。

ギュンターのタクシーに体当たりした車が米連邦当局御用達のシボレー・サバーバンというあたりでCIAのチームが襲撃した事が暗示される。
ギュンターの様子をみて溜飲を下げたらしいモアが立ち去り、そして作戦開始前に車で乗りつけていたマーサ・サリヴァンが顔色一つ変えずに立ち去るで米独の間で誰がこの絵図を描き実行させ、そして裏切ったのか一目瞭然となる。
イルナたち部下とアナベル・リヒター、トーマス・ブルーは彼を責めていないように見えた。これは彼らが既に仲間になっているからだし、ギュンターが裏切られた事が分かっているからか。

ギュンターが最後に向かった場所については、不覚にも私は分からなかったのですが、これについては、ターゲットであったアブドゥラの息子でありギュンターの協力者であるジャマールの所ではとの感想を読んだ。確かに、そうでないと最後のシーンは要らない。
協力者に対する盟約、責務として何があったのか語る為にギュンターはジャマールの所に行った。



フィリップ・シーモア・ホフマン扮するギュンターの活躍は本作を見ればいつでも甦る。ただ、ギュンターのこの先、またフィリップ・シーモア・ホフマンが出演する新しい映画が見られないのが残念でなりません。

追記)2回目を見ての感想、気になった点(一部本文に加筆済み)
・ギュンターの天敵たるモアが夜に部下2名を連れてオフィスに戻っていて、それを見たギュンターはブルーに対してイッサに預金を引き渡す旨連絡している。その後にイッサを匿っていたトルコ人親子の家へのモアの手勢が突入して逮捕。もしアナベルがイッサを移動させていなかったら、ここで話は終わっていた。
ブルーがアナベルに伝えた事でイッサと逃亡すると予想出来たのか?指示していたのかは今の所、確認出来ていない。(そういうシーンはなかったと思うのでギュンターの直感?)

・CIAベルリン支局のマーサ・サリヴァンと高層の建物のレストランで会うシーンは実在のホテル Empire Riverside Hotel のバー SKYLINE BAR "20up" を使って撮影されたようで、そのホテルのFacebookに撮影に使われたとの話が出ている。窓からエルベ河とハンブルク港、そして桟橋に係留された船が写り込んでいる。船は博物館船のCap SanDiego。これら2隻の船は港巡りらしき小型船でも背景に映り込んでいる。

・マーサ・サリヴァン、ブルー・フレール銀行での送金作戦が始まる頃に黒いセダンでやってきていて、ギュンターたちの背景に写り込んでいる。
・イッサとアブドゥラの拘束連行したチームの車はアメリカ連邦機関御用達とも言えるシボレー・サバーバン。この事からこのチームはCIAが送り込んだという事を示しているのだと思われる。

・本作の作曲家=ミヒャエル・アクセルロッド(ギュンターのベルリン側の上官)=「Uボート」のヴェルナー従軍記者(少尉)だそうです。作曲家としては監督の前作で、俳優としては前々作で出演。

「誰よりも狙われた男」ハンブルグロケ地ガイド 実に多くのシーンでロケ撮影されています。今、私が知りたいのはセーフハウスですね。アナベルの監禁された部屋、トイレまであるのにガラスブロックの壁、ステンレスの冷蔵庫のようなドアと実に謎が多い。外観(駐車場のシーン)はまた別ショット組み合わせて室内はセット作っているかもしれませんが。

・映画感想サイトでのコメントでタイトルの意味は?というやりとりを拝読。そちらでも書いたのですがモア、マーサ・サリヴァンたち白と黒の世界で黒の可能性があればまずは排除する方が安全であり正義だとする価値観だとイッサこそ A MOST WANTED MAN でした。そしてギュンターのチームは真っ白なんてあり得ない、一点の黒はあるものだし、そういう彼ら、彼女らを取り込んで敵に送り込み、そして鮫を仕留めるという大物食いを狙う事がギュンターの考える正義です。(これは国内防諜と国外諜報の性格の違いというのは原作で触れられていた所だったと思います)
それゆえにギュンターにとってのA MOST WANTED MAN はまだ見ぬテロリスト指導者という事になるかなと。
ギュンターはマーサを操ってモアに対抗しますが、どこまで利用出来るか見極めてギュンターの作戦を横取りして崩壊させたのはマーサ・サリヴァンであり、ギュンターが一度受けた打撃を再び受けるというのは見ていて辛かった。

追記)3回目を見て。
・ギュンターの上官、メンター、相談役たるミヒャエル・アクセルロッド(ちなみに発音は「マイケル」でしたが字幕は「キプロス」(サイプレス)と共にドイツ語読みに置き換えられている)の登場時の台詞は「アブドゥラに専念しろ」で、後々この台詞が思い出される展開になる。
・またCIAベルリン支局のマーサ・サリヴァンはギュンターへの理解を匂わせながらも、目立つ嘘はついておらず、そしてその言葉の意味を考えると最後の迷惑そうなものを見る表情につながるように計算された台詞になっている。
・冷戦時代から古き良き工作管理官たろうとするギュンターに対して、疑わしい=信頼出来る情報としてロシアの拷問に基づく情報すら受け入れて薄い疑いを持って「有罪」として誘拐作戦(おそらく法律の緩い他国収容施設への秘密移送作戦も)の対象としてしまうのはお互いに理解し合う事のない絶対的な価値観の違いがある事がわかる。この価値観、サリヴァンとモアは全く同一のものを共有している故に最後の表情が似ているように思える。
・ギュンターは部下と話をする際は心の障壁を下ろしていてざっくばらんに語る。モアやサリヴァンと対峙するときは価値観の説明はしていても作戦詳細は中々語らない。恐ろしく不器用な男。そしてそれ故にベルリンでサリヴァンに裏切られる事になったのではないか。「平和の為に」という台詞、サリヴァンにとっては価値はないお題目。ギュンターにとっては作戦を自らの理想に近づける為により大きな悪を狙うという事が大きなモチベーションになっていて、それが工作における人のたらし込みにつながっている。そのような作戦手法をモアは知らないし、リスクを一方的に大きく取っているようにしか見えない。サリヴァンも実は同様であり、後から振り返るとこの点はずっと演技しているように見えた。